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2005年3月16日 法務省は上告断念!勝訴が確定!
2005年3月8日 逆転勝訴!退去強制処分を取り消し!法務省は上告を断念せよ!
2005年1月31日 福岡高裁判決前日・井上さん家族を励ます集会
2005年1月24日 福岡高等裁判所石塚章夫裁判長にみなさんの思いを届けてください!
2004年1月17日 要請文に賛同してください
2003年9月25日 福岡高裁9月22日第2回口頭弁論開かれる。
2003年9月18日 井上浩一(馬好平)さんが1年10ヶ月ぶりに仮放免が認められ、釈放されました。

2003年9月12日 公判傍聴のお願い

2003年5月12日 元中国残留孤児井上鶴嗣さんの妻の娘家族7人の退去強制問題報告


2003年3月1日 2002年11月29日院内集会など東京行動の報告
 
2002年9月30日 全朝教(全外教)の高校生交流会でのI.H.さんのアピール

2002年8月22日 8月9日 福岡地裁公判傍聴・支援ありがとうございました!

2002年8月2日 元「中国残留孤児」家族退去強制問題 第4回公判傍聴よろしくお願いします!

2002年5月27日 2002年5月22日、井野さんのメールより

2002年1月23日 「1月20日現在の状況(全朝教通信第76号より)」

2002年1月10日 「退去強制処分の取り消しと執行停止」「連れ子、養子にも在留特別許可を求める」カンパのお願い

2002年1月10日  孫(潘)、関さん家族の「退去強制処分の取り消しと執行停止」「連れ子、養子であっても在留特別許可」を求める署名

2002年1月5日  潘さん関さん2家族に対する福岡入管の処遇及び法務大臣の裁定に対する声明文(全朝教)

2001年12月31日 1月4日福岡入管への要請行動、5日熊本での集会にぜひ参加を!

2001年11月28日 緊急のお願い 「強制収容」問題を考え、子どもの学びと発達を守る熊本の会



務省は上告断念!勝訴が確定!

☆強制退去処分の取り消しが確定 残留孤児連れ子訴訟
 中国残留日本人孤児の妻の連れ子ら計7人に対する強制退去処分の取り消し訴訟で、国に処分の取り消し命じた福岡高裁判決に対し、法務省は15日、最高裁への上告を断念する方針を固めた。

 この訴訟は、中国残留日本人孤児の井上鶴嗣さん(64)=熊本県菊陽町=の元中国人の妻の連れ子の長女と次女の家族計7人が、「血縁がないのに実子と偽って入国した」などとして国から強制退去処分を受けたことを不服として、処分の取り消しを求めていたもの。

 03年の一審では敗訴したが、高裁判決は「家族の実態などを国際人権条約に照らせば、国が在留特別許可を与えずに強制退去処分としたことは、社会通念上著しく妥当性を欠く」と判断し、退去処分の取り消しを命じた。

 井上さんは14日に法務省を訪れ、「妻の子供は私の子供でもある。離れたくない」と訴え、上告断念を要請していた。
以上 朝日新聞

☆残留孤児訴訟で上告断念 法務省、家族に在留許可へ
 熊本県在住の中国残留孤児井上鶴嗣さん(64)が中国から呼び寄せた妻の子供ら7人が、井上さんと血縁関係がないことを理由に受けた退去強制処分の取り消しを求め福岡高裁で逆転勝訴した訴訟で、法務省は15日、上告しないことを決めた。7人に在留許可を出すとみられる。7日の2審福岡高裁判決は「処分は社会通念上、著しく妥当性を欠く」として原告側請求を認めた。
以上 西日本新聞

☆残留孤児家族に在留特別許可へ 南野法相
 中国残留孤児の妻の子供ら7人が、退去強制処分の取り消しを求め福岡高裁で逆転勝訴した訴訟を受け、南野知恵子法相は15日、7人に在留特別許可を出すと発表した。
以上 熊本日日新聞

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転勝訴!退去強制処分を取り消し!
法務省は上告を断念せよ!

「家族を引き裂かないで! 残留孤児井上鶴嗣さん家族の叫び」緊急集会
日時 2005年3月13日(日)  16:30〜19:00
場所 上野区民館(上野地区センター)401集会室
(「全統一労働組合」で部屋を借りています。)
台東区池之端1-1-12、地図はこちら
銀座線「上野広小路駅」、大江戸線「上野御徒町駅」、JR「御徒町駅」
主催 家族を引き裂かないで!緊急集会実行委員会
問合せ先 Fax&Answerphone: 0426(37)8566、e-mail:sasara@pop21.odn.ne.jp
遠方よりお越しの方で、ご宿泊を希望の方も上記問合せ先までご連絡ください。

退去強制処分を取り消し 残留孤児家族逆転勝訴
 熊本県に住む中国残留孤児の男性が呼び寄せた妻の娘ら7人が、男性と血縁がないために受けた退去強制処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審判決で、福岡高裁(石塚章夫裁判長)は7日、「処分は社会通念上著しく妥当性を欠く」として、処分を適法とした1審判決を取り消し、請求を認める原告側逆転勝訴の判決を言い渡した。

 石塚裁判長は「日本政府による中国残留孤児の被害回復措置の遅れによって、在留資格を取得できなくなった事情を考慮しなくてはならない」と述べた。

 その上で、石塚裁判長は妻の娘について「残留孤児男性にとって実子以上の存在だった」と認定。「国際人権規約などの規定(家族結合の擁護)に照らし、(退去強制処分を決めた)法務大臣に裁量権の逸脱または乱用があった」と結論づけた。
共同通信記事

残留孤児の連れ子退去処分「不当」 原告が逆転勝訴
 中国残留日本人孤児の井上鶴嗣さん(64)=熊本県菊陽町=の妻(59)の連れ子と家族計7人が、「実子と偽って入国した」などとして在留特別許可が認められず、国から強制退去処分にされたのは不当だとして、処分の取り消しを求めた行政訴訟の控訴審判決が7日、福岡高裁であった。石塚章夫裁判長は「家族の実態などを国際人権条約に照らせば、処分は社会通念上著しく妥当性を欠く」と判断し、国側の主張を認めた03年の一審判決を破棄して、強制退去処分を取り消した。

 残留孤児の連れ子の在留資格をめぐる訴訟としては初の高裁判決。法相の広範な裁量が認められている在留特別許可に歴史的事情などを理由に一定の制限をかけた形となった。大阪高裁などで争われている同様の訴訟にも影響を与えそうだ。

 井上さん夫妻は83年に日本に永住帰国。96年に中国人の妻=現在は日本国籍取得=の連れ子で長女の菊代さん(41)一家、98年には約2歳年下の次女由紀子さんの一家が来日し、夫妻の近くで暮らしてきた。だが、7人は01年11月に福岡入国管理局に不法上陸と認定された後、12月に強制退去処分とされた。不法上陸認定後、在留特別許可を申請したが認められず、同月に提訴。7人のうち6人はすぐ仮放免されたが、由紀子さんの夫(49)は約1年10カ月間、収容された。7人とも現在は菊陽町内で暮らしている。

 高裁判決では「菊代さんは鶴嗣さんの家族の一員で実子以上の存在」と認定し、「このような家族関係は、家族の結びつきを擁護した国際人権B規約などに照らしても、十分保護されなければならない」と指摘した。

 さらに中国残留日本人孤児の歴史的問題に触れ、「国策で満州国に入植し、戦後の引き揚げ施策や94年の中国残留邦人帰国促進・自立支援法などが遅きに失した」「過去の国の施策が遠因となり、被害回復措置が遅れたため在留資格を取得できなくなった原告の立場は、在留特別許可の判断にあたって十分に考慮されなければならない」とした。

 強制退去処分の根拠となった入国の際の虚偽申請については「原告らに身分関係を偽っているとの認識があったと認められるが、申請時に出した戸籍などの資料は真正で、違法性は重大なものとはいえない」と結論付けた。

 03年3月の一審・福岡地裁判決は「原告らは連れ子では入国できないと認識し、虚偽の身分関係を作り上げて入国した。在留特別許可を認めなかったことに違法性はない」として、原告側の請求を棄却していた。

◇〈原告代理人の大倉英士弁護士の話〉
 法務省が在留特別許可を認めなかった裁決が裁量権の逸脱となることや中国残留孤児の特殊性をきちんと認定した画期的な判決。国は上告すべきではない。

◇〈法務省入国管理局の話〉
 判決内容の詳細を把握していないのでコメントは差し控えたい。上訴するか否かは、判決内容を十分検討の上、判断したい。
(03/07 22:31)

写真
判決後、関係者と抱き合って喜ぶ原告の井上由紀子さん(左)と菊代さん(後方左)=7日午後4時、福岡市中央区城内で
朝日新聞より



残留孤児連れ子訴訟、福岡高裁が入管の退去処分取り消す
 実子と偽って入国したとして、福岡入国管理局から強制退去処分を受けた熊本県菊陽町の中国残留孤児、井上鶴嗣さん(64)の妻の連れ子家族7人が、処分の取り消しなどを国に求めた訴訟の控訴審判決が7日、福岡高裁で言い渡された。石塚章夫裁判長は入管の処分を違法と判断、国に処分を取り消すよう命じた。

 7人は、鶴嗣さんの妻、琴絵さん(59)が前夫との間にもうけた長女と二女の夫や子供たち。

 実子と偽って入国したとして、福岡入国管理局から強制退去処分を受けた熊本県菊陽町の中国残留孤児、井上鶴嗣さん(64)の妻の連れ子家族7人が、処分の取り消しなどを国に求めた訴訟の控訴審判決が7日、福岡高裁で言い渡された。石塚章夫裁判長は入管の処分を違法と判断、国に処分を取り消すよう命じた。

 7人は、鶴嗣さんの妻、琴絵さん(49)が前夫との間にもうけた長女と二女の夫や子供たち。

 法務省の告示で、連れ子の入国・在留には未婚未成年の条件があることから、1983年に永住帰国した鶴嗣さん夫婦は96、98年に、長女と二女を実子として家族とともに呼び寄せた。7人は定住資格を得たが、鶴嗣さんとは血縁関係がないことが判明し、福岡入管は2001年11月、7人を強制収容した。

 7人は異議を申し立て、在留特別許可を求めたが、国は同年12月、「理由がない」として強制退去処分にしたため、同月末に提訴した。03年3月の1審・福岡地裁判決は、7人の請求を棄却していた。
読売新聞より

継子家族の強制退去は違法 残留孤児家族が逆転勝訴 福岡高裁判決
 熊本県在住の元中国残留孤児、井上鶴嗣さん(64)が日本に呼び寄せた中国人妻の娘とその家族計7人が「孤児の実子と偽って入国した」として国から受けた退去強制処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が7日、福岡高裁であった。石塚章夫裁判長は「処分は社会通念上著しく妥当性を欠き、法務大臣に裁量権の逸脱または乱用があった」と述べ、処分を適法とした一審判決を破棄し、原告逆転勝訴の判決を言い渡した。

 永住帰国した残留孤児の血縁のない家族に対し、入管当局がいったん認めた在留資格を取り消し、訴訟に発展するケースは近年目立っているが、退去強制処分を取り消す司法判断は初めて。

 訴えていたのは、井上さんの妻(中国で結婚、来日後に日本国籍を取得)が前夫の間にもうけた長女(41)、二女(39)とそれぞれの子ども(15―22歳)ら7人。

 判決理由で石塚裁判長は「長女と二女は入国手続きで身分関係を偽った認識があった」と虚偽申請の事実は認めたが、極めて重大な違法性まではないとした上で「長女らは(両親のいない中国で)義祖父の世話をするなど実子以上の存在だった」と認定した。

 さらに、「本件の遠因には日本国自身の過去の施策がある」「孤児救済措置の遅れによって在留資格を取得できなくなった事情を考慮しなくてはならない」と、中国残留孤児が生じた背景や国の責任にも言及。家族の結合を擁護する国際人権規約などに照らしても、国の退去強制処分は違法と結論づけた。

 判決によると、長女と二女の家族は1996年と98年に来日。その後、長女と二女は実子でないことが発覚したため福岡入国管理局は2001年11月、入管難民法に基づき強制退去を決めた。7人は「血のつながりだけで家族を引き裂くのは不当」として提訴。一審・福岡地裁判決は03年3月、「偽装入国であり、法的保護に値しない」として原告の請求を棄却。7人が控訴していた。
西日本新聞より

中国残留孤児・井上鶴嗣さんの再婚した妻の娘2家族の
退去強制令書発布処分と在留特別許可不許可処分の取り消しを求める控訴審
福岡高裁判決前日
井上さん家族を励ます集会

 元中国残留孤児の井上鶴嗣さんは「妻の子どもは私の子ども、もう決して離れたくない。」と訴えてこられました。控訴人の娘達夫婦や孫達と、鶴嗣さん家族は、一審で暮らしぶり、それぞれの生い立ちなどを明らかにし、家族の実態があると認められました。

 鶴嗣さんは5歳の時、戦争で中国に一人取り残され、血のつながりがなくても大事に育てられ、自らも血のつながりのない子ども達を、我が子として慈しんでこられたのです。今ふるさとの日本で、ようやく家族に囲まれるささやかな幸せをかみしめておられるのです。

 控訴審では、日本に入国する時の手続きにおいて、処分理由とされた「日本人実子を偽装する」明白な不正や偽装が無かったことが証明されたはずです。法廷でビデオ上映も許可され、井上さん家族がどんな毎日を送られていて、2001年11月5日からの退去強制手続きがいかに非人道的なものであったかを、裁判官にも見てもらうことができました。その裁判も控訴審となり、2005年3月7日(月)午後3時半、福岡高等裁判所で判決が言い渡されることになりました。

 子ども達は、学校に通い、アルバイトをして家計を助け、入管に月に少なくとも一度は通わなければならず、展望が持てない中でもいろいろな事を考えながら、毎日の生活をがんばってきました。お父さんはいつも第一に家族のことを考え、みんなを励ましてこられました。入管への長い収容生活の後遺症に苦しみながらも、仕事を始められました。お母さんたち二人も、朝早くから夜遅くまで働いて、家族を精一杯支えておられます。

 私たちはいつも井上さん家族がお互いを心配し、支えあう姿に、家族の絆のあたたかさを感じてきました。どんな状況にあっても、苦難を乗り越えていこうとする人間の強さを感じてきました。そして井上さん家族が集まった時の、笑顔を見たとき、井上さん家族に出会って本当に良かったと思うのです。

 どうか、判決前日のこの集会にご参集ください、そして井上さん家族を励ましてください!!

主催
 「強制収容」問題を考え、子どもの学びと発達を守る熊本の会
 コムスタカ(外国人と共に生きる会)
連絡先
井野幸子(096−248−7258)
日時:2005年3月6日(日)18:00〜20:00
場所:くまもと県民交流館パレア
内容:弁護団より裁判についての説明
    ビデオ放映(裁判所で放映されたもの)
    家族を励ますメッセージ
    歌など
判決を聞きに来てください!!
日時:2005年3月7日(月)15:30〜
福岡高等裁判所5階大法廷

集会のビラのpdfはこちら

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中国残留孤児の井上鶴嗣さん家族の退去強制取り消し訴訟
福岡高等裁判所石塚章夫裁判長にみなさんの思いを届けてください!

 元中国残留孤児の井上鶴嗣さん家族はもう二度と離れたくないと、これまで裁判で闘ってこられました。その裁判も控訴審となり、2005年3月7日(月)午後3時半、福岡高等裁判所で判決が言い渡されることになりました。

 子ども達は、学校に通い、アルバイトをして家計を助け、入管に月に少なくとも一度は通わなければならず、展望が持てない中でもいろいろな事を考えながら、毎日の生活をがんばってきました。お父さんはいつも第一に家族のことを考え、みんなを励ましてこられました。入管への長い収容生活の後遺症に苦しみながらも、仕事を始められました。お母さんたち二人も、朝早くから夜遅くまで働いて、家族を精一杯支えておられます。

 私たちはいつも井上さん家族がお互いを心配し、支えあう姿に、家族の絆のあたたかさを感じてきました。どんな状況にあっても、苦難を乗り越えていこうとする人間の強さを感じてきました。そして井上さん家族が集まった時の、笑顔を見たとき、井上さん家族に出会って本当に良かったと思うのです。

 何としても裁判官へ私たちの思いを直接届け、この日本という国が戦争で一度家族を引き裂かれた井上さん家族を再び引き裂くことの無いように願いたいと思います。賛同してくださる方は、署名と思いを一言添えていただいて、1月中をめどに投函ください。みなさまの周りの方にも、この事を伝え広げていただければ幸いです。
「強制収容」問題を考え、子どもの学びと発達を守る熊本の会 代表 井野幸子

以下が要請はがきの内容です。
石塚章夫裁判長様  平成15年(行コ)第13号 
退去強制令書発付処分取消請求控訴事件に公正な判決を!!

元中国残留孤児の井上鶴嗣さんは「妻の子どもは私の子ども、もう決して離れたくない。」と訴えてこられました。控訴人の娘達夫婦や孫達と、鶴嗣さん家族は、一審で暮らしぶり、それぞれの生い立ちなどを明らかにし、家族の実態があると認められました。血がつながっていなくても、あたたかい家族の絆を築き上げてこられた井上さん家族に私たちは一人の人間として心を打たれました。
5歳の時、戦争で中国に一人取り残され、血のつながりがなくても大事に育てられ、自らも血のつながりのない子ども達を、我が子として慈しんでこられたのです。今ふるさとの日本で、ようやく家族に囲まれるささやかな幸せをかみしめておられるのです。
 控訴審では、日本に入国する時の手続きにおいて、処分理由とされた「日本人実子を偽装する」明白な不正や偽装が無かったことが証明されたはずです。法廷でビデオ上映も許可され、井上さん家族がどんな毎日を送られていて、2001年11月5日からの退去強制手続きがいかに非人道的なものであったかを、ご覧になったと思います。どうぞ、人間のあたたかさを持って、日本の司法に正義の光があることを私たちに見せてください。

〒810−0043
福岡県福岡市中央区城内1番1号
福岡高等裁判所 第二民事部
石塚章夫裁判長

要請ハガキのpdfファイルはこちらにあります。

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請文に賛同して下さい

全外教(全国在日外国人教育研究協議会)です。

 全外教では、熊本の元「中国残留孤児」2家族の退去強制処分取り消しを求める裁判を支援してきました。しかし、高裁も大詰めを迎え、厳しい状況です。このままでは、子どもたちも退去強制させられる可能性大です。家族をばらばらにさせたくありません。どうか力をお貸しください。

 福岡高裁へ、十分な証人調べ・証拠調べを求める要請文を出したいと思います。以下の要請文に賛同いただける団体(個人でも結構です)を募りたいと思いますので、よろしくお願いします。

 賛同いただける場合はzencho-lj@infoseek.jpまで連絡お願いします。最終集約、1月25日です。

 なお、次回の口頭弁論は2月23日(月)午前11時〜 福岡高裁大法廷です。可能な方は傍聴もぜひお願いします。


福岡高等裁判所
裁判長 石塚 章夫 様
要請
 私たちは、中国残留孤児の問題や、子どもの強制「収容」・強制送還問題に関心をもち、去る12月15日に貴高裁で行われました元中国残留孤児(井上鶴嗣さん)の2家族7人を控訴人とする第3回口頭弁論を傍聴した者です。その際、貴裁判長が「これ以上の証人調べは必要なし」とされたことを私たちはたいへん残念に感じています。

 当日の証言にもありましたように、元中国残留孤児の井上鶴嗣さんはたいへん過酷な状況の中を生き延びてこられました。その生い立ちは、日本政府の旧「満州」への移民政策、残留孤児に対する棄民政策に翻弄されたものと言わざるを得ません。

 中国人との結婚、そして苦労の末の家族そろっての帰国。井上鶴嗣さんの歩んできた道のりは、他のほとんどの中国残留孤児の人たちと同じ道のりだったと思います。日本政府から「お疲れ様でした」とねぎらいの言葉があってしかるべき人生だったと私たちは思います。まして、「血のつながり」がないことを理由に家族を引き裂くべきことなどあっていいはずがありません。

 子どもたちは、日本で成長し、日本語が自分たちの生活言語・思考言語になっています。生活のすべてが日本にあります。退去強制は、彼らからすべてのものを奪うことを意味します。一審判決は、「そもそも原告子らの日本における生活は、原告子らの保護者である原告親らが作出した虚偽の身分関係を基礎とした不法残留という違法状態の上に築かれたものであって、そもそも法的保護に値しない」としました。本当にそれでいいのでしょうか。これが「リーガル・マインド」にかなうものなのでしょうか。

 今年9月、全く日本人と血縁関係のないイラン人家族について、人道的見地から退去強制処分を取り消す判決が東京地裁で出されました。歴史的な経緯を考える時、中国残留孤児の家族である本件控訴人たちは、さらに配慮されるべきケースであると私たちは考えています。

 井上鶴嗣さん一家の帰国は、偽装でも何でもありません。帰国手続きにおける瑕疵があったとしても、家族が引き裂かれなければならないほどの罪なのでしょうか。熊本の地で、平穏に生きようとしている家族をどうか引き裂かないでください。

 次回口頭弁論において、さらなる証人調べが決定されますようお願いします。それがどうしても叶わないときには、上に述べましたことにご配慮いただき、十分な証拠調べをしていただきますよう、お願い致します。

2004年1月  日 

賛同団体(12/22時点) ※順不同

 全国在日外国人教育研究協議会
 多文化共生ネット山梨
 多文化共生フォーラム奈良
 奈良県外国人教育研究会
 全朝教京都
 多文化情報センター大阪
 鳥取県在日外国人教育研究会連絡会 
 全朝教広島
 全国在日朝鮮人(外国人)教育研究協議会・福岡
 日本の学校に在籍する朝鮮人生徒の教育を考える会大分
 「強制収容」問題を考え、子どもの学びと発達を守る熊本の会

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元中国残留孤児井上鶴嗣さんの再婚した妻の娘2家族7人の退去強制問題 報告
 福岡高裁9月22日第2回口頭弁論開かれる。

2003年9月22日 中島真一郎(コムスタカー外国人と共に生きる会)

 元中国残留孤児井上鶴嗣さんの再婚した妻の娘2家族7人の行政訴訟(被控訴人 法務大臣、福岡入国管理局長など)の第2回口頭弁論が、傍聴者30名あまりの参加をえて、2003年9月22日午後2時から福岡高裁501法廷で開かれました。

 控訴人(2家族7人)は、前回の第1回公判(7月14日)で石塚裁判長が指定した9月16日までに、「出入国管理行政と国際人権条約に関する意見書」(村上 正直教授 大阪大学大学院国際公共政策研究科)と、「中国残留孤児の家族受け入れに関する意見書」(庵谷 磐氏 中国帰国者問題同友会代表幹事)の二つの学者・専門家の意見書を提出していました。また、9月22日公判前に、国際人権条約についての主張と被控訴人の答弁書への反論を述べた準備書面(1)を提出していました。また、中国残留孤児問題の歴史性や特殊性を主張する準備書面(2)を作成・提出したいので、次回もう一回弁論期日を入れてほしいとの上申書と、求釈明書2(逃亡している2名のうち今年4月に入管に出頭した1名の退去強制の有無と、その供述調書のすべての提出を求める)を提出してありました。一方、被控訴人(法務大臣など)からは、控訴人の求釈明に対する回答を内容とする第1準備書面(A4 3枚 大阪入管での本件と同種のケースで在留特別許可が認められた理由について、「釈明するこはできないし、必要もない」との回答 下記に全文掲載)が提出されていました。今回の法廷から、 9月17日に1年10ヶ月ぶりに仮放免が許可され、入管施設から釈放された井上浩一(馬好平)さんも出廷し、控訴人7人全員が揃いました。

 石塚裁判長は、控訴人及び被控訴人の準備書面と証拠を確認し、控訴人の求釈明2については、「裁判所として釈明の必要は求めないが、被控訴人から任意で回答していただくのはかまわないので、被控訴人の側で検討してほしい」といいました。そのあとで、今後の進行について、「控訴人申請の証人のうち井上鶴嗣の証人調べの必要を認め、次回証人調べ行う」といいました。すかさず控訴人の代理人弁護士が、「控訴人の申請している他の証人は却下ですか」と質問したところ、石塚裁判長は、「他の申請されている証人については、留保です。まず、井上鶴嗣証人の証人調べが終わってからそのとき判断します」と述べました。控訴人代理人が要求した仮放免された井上浩一(馬好平)さんの意見陳述(10分)を次回に行いたいという申し入れは裁判所に受け入れられました。

 そして、次回(第3回)の日程として、12月1日(月)午前10時30分から、冒頭に井上浩一(馬好平)さんの意見陳述(10分)、その後井上鶴嗣さんの証人調べ70分程度(控訴人主尋問 60分、 被控訴人反対尋問 10分)が決まりました。また、石塚裁判長は、控訴人及び被控訴人双方に、今後提出予定の書面や証拠の有無をきき、できるだけ次回12月1日の公判までに提出してほしい旨を述べました。

 この日の法廷の最大の焦点は、控訴人側が申請している証人(全部で9人 
(1) 学者・専門家 各1名の2名
(2) 井上鶴嗣さん
(3) 井上鶴嗣さん実子3名
(4) 子どもたち4名の担任・日本語教師 2名
(5) 法務省の入国管理局長 1名

 井上鶴嗣さん以外は、第1審で証言していない)の採用を裁判所が行い、次回以降から証人調べに入るかということでした。控訴審の争点は、大別すると次の「
(1) 入国経緯の違法性とその程度
(2) 家族としての実体があること
(3) 日本で善良に暮らし、生活基盤があること
(4) 退去強制は家族を路頭に迷わせ、とりわけ子どもへの影響が大きく、人道に反すること、
(5) 中国残留孤児問題の歴史性と特殊性
」の5点です。

 このうち、「(2) 家族としての実体があること、(3)日本で善良に暮らし、生活基盤があること」は、第1審判決でも認めており、中心的争点は「(1)入国経緯の違法性とその程度」への反論と、「(5)中国残留孤児問題の歴史性と特殊性」の立証となります。

 石塚裁判長は、次回に弁論期日をもう1回いれるという希望は受け入れませんでしたが、第1審の福岡地裁ですでに一度証言しているため採用が危惧されていましたが、控訴人が中国残留孤児の歴史性や特殊性を立証する上で不可欠としている井上鶴嗣さんの証人採用がまず決定したことは、大きな前進でした。

 むろん、第2回口頭弁論終了後の報告集会のなかで、参加者から次回12月1日の井上鶴嗣さんの証人調べで終了し、結審となる可能性も考慮して、次回にできるだけ多くの傍聴者を結集していく必要性も訴えられました。次回の12月1日(月)午前10時30分からの井上鶴嗣さんの証人調べが福岡高裁での控訴審の戦いでの大きな山場となります。

 多くの皆さんのこの裁判への関心と支援をお願いします。

参考資料    被控訴人 第一準備書面 平成15年9月16日

 被控訴人は、平成15年7月15日付け求釈明において控訴人らが釈明を求める事項に対し、以下のとおり回答のべる。なお、略称などについては、従前の例による。

1、控訴人らは、上記求釈明書において、「大阪入国管理局」が「2003年(平成15年)6月20日」に在留特別許可した事案にうちて、「在留特別許可が認められた理由」と、「元中国残留孤児の再婚した配偶者の子の家族について、在留特別許可が認められる場合と認められない場合の基準を明らかにされたい」旨申立てている。

2、しかしながら、これまで被控訴人が繰り返し主張してきたとおり(原審答弁書30ページ以下、被告第2準備書面2ページ以下等参照)、そもそも在留特別許可は、退去強制事由に該当することが明らかで、当然に本邦から退去強制されるべき者に対し、特に在留を認める処分であって、その性質は恩恵的なものである。そして、在留特別許可を与えるか否かの判断をするにあたっては、出入国の公正な管理という法の目的を達成するため、単に当該外国人の個人的事情(家族事情等を含む)のみならず、その時々の国内の政治・経済・社会等の諸事情、外国政策、当該外国人の本国との外国関係等の諸般の事情を多角的な見地から総合的に考慮すべきものであって、その許否は、法務大臣又は法務大臣から権限を委任された地方入国管理局長(法69条2)のいわゆる自由裁量、すなわち極めて広範な最良に委ねられているものと解すべきであり、このことは原判決が正当に判示し(原判決39ページ)、判例上も確立しているところである。しかも、在留特別許可の拒否にあたっえ考慮すべき諸事情には、当該外国人の個別的事情はもとよりその時々の国内事情、国際事情等、個々に異なるものが含まれ、これらの事情が複雑かつ、有機的に相互に関連しているのであって、在留特別許可の許否に関する固定的、一義的な基準は存在しない。
 また、仮に法務大臣等が従前の許可事例などからその裁量権を行使する準則のような判断基準を設けることがあるとしても、それは行政庁内部の事務処理において、処分の妥当性を確保する基準として定められたにすぎず、その基準に違背しても原則として当不当の問題を生じるに止まり、当然に違法となるものでない(乙 第110号 の1・36ないし37ページ)

3、このように在留特別許可を与えるか否かは、法務大臣等が広範な自由裁量に基づき各事案ごとにの諸事情を考慮して、個別的に判断するものであるから、その運用に関しては特定の事情のみに着目して機械的に結論を決定するという類型的処理を行っているわけではない。また、被控訴人が、特定の事案において考慮された個別の事情については、当該事案の当事者とはまったく無関係の控訴人らに対する処分の適法性が争われている本件訴訟で明らかにすることは、当該事案における当事者の個人情報ないしプライバシー保護の観点からも許されるものでない。

4、以上の理由から、控訴人らが、本件と全く別の事案を前提とした釈明を求める事項について、被控訴人は釈明をすることはできないし、その必要もない。

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井上浩一(馬好平)さんが1年10ヶ月ぶりに仮放免が認められ、釈放されました

みなさまへ

 本当に長かった1年10ヶ月あまりでした。井上浩一さんがようやく家族の元に帰ってこられました。本当に夢に何度も出てきた家に帰ってこられました。浩一さんが帰ってきて、おつれあいの由紀子さんや子どもたちの表情は、まさにこれがしあわせとよべるものでした。何よりうれしい時間でした。これで、行くのも帰るのもつらい面会も終わりです。これから文字通り家族がひとつになって進んでいけます。

 鶴嗣さんの喜びを久しぶりに見ました。今日は特別です。

 今日という日を迎えることができたのも、本当にみなさまの支援のおかげです。それがなかったら、私たちも家族もそして浩一さんももっと追い詰められていたはずです。どこまで耐えることができたろうと思います。本当にありがとうございます。

 ただこれからも家族の状況や、控訴審について更なるご支援をお願いすることに変わりはありません。この家族の幸せが、仮のものに終わらないように、私たちも努力をしてまいりたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
「強制収容」問題を考え、子どもの学びと発達を守る熊本の会 代表 井野幸子

熊本県菊陽町在住の元中国残留孤児井上鶴嗣さんの
再婚した妻の娘2家族7人の退去強制問題
−本日、井上浩一(馬好平)さんが1年10ヶ月ぶりに仮放免が認められ、
釈放されました−


 昨日(9月16日)昼ごろ、大村入国管理センターより代理人の弁護士に連絡があり、長崎の大村入国管理センターに収容中の井上浩一(馬好平)さんの仮放免が認められることになったという連絡がありました。本日(9月17日)、保証金を用意し、身元保証人である井上琴絵さんや家族が長崎県大村市まで迎えにいきました。午後2時過ぎに、井上浩一(馬好平)さんは、6回目の仮放免申請が許可され、2001年11月5日の摘発から1年10ヶ月ぶりに入管の収容施設から解放されました。井上浩一さんは、「皆様の努力のおかげで、外に出られるようになり、また家族と一緒に暮らせるようになりました。本当にありがとうございました」と入管から釈放された直後にコメントしてくれました。一人収容され続けていた井上浩一(馬好平)さんを釈放する戦いは、本日実現できました。裁判傍聴、集会参加、署名や激励など支援していただいた方々にお礼を申し上げます。今後2家族7人が、日本で定住して暮らしていける日を実現させる戦いが続きますので、今後ともよろしくお願いします。

(仮放免に至る経緯)

 2003年7月30日に大村の入国管理センターに収容され続けている井上浩一(馬好平)さんが、九州弁護士会人権擁護委員会に人権救済申立てをしたこと、6回目の仮放免許可申請を大村入国管理センターに行い、福岡地裁司法記者クラブで記者会見し、報道されました。この申し立てについては、九州弁護士会人権擁護委員会から長崎県弁護士会人権擁護委員会に申し立てをしてほしいとの連絡があり、その後長崎県弁護士会人権擁護委員にも人権救済の申し立てを行い、受理されました。そして、9月24日(水)午後1時30分に、長崎県弁護士会人権擁護委員の弁護士が井上浩一(馬好平)さんへの面接調査に大村入国管理センターに行くことが決まっていました。

 今回の仮放免決定を入管がおこなった要因として、収容が1年10ヶ月と長期化していること、2003年7月14日の福岡高裁の第1回控訴審を経て、控訴審が長期化することが予測されたこと、長崎県弁護士会人権擁護委員会の調査が入ることになっていたことが影響したものと思われます。

 大村入国管理センターでは、病気や帰国前提としての準備のための仮放免などのケースはこれまでありましたが、裁判中で帰国を前提としない仮放免は今回の井上浩一(馬好平)が初めてではないかと思われます。(2002年8月27日の北川れん子衆議院議員に同行した際に大村入国管理センターとの意見交換会での所長の回答  「訴訟継続などの長期収容者で仮放免が認めた例があるのか」という質問に対して、「大村入国管理センターではしらないが、他の入国管理センター(西日本や東日本入国管理センターなど)では、仮放免が認められたケースがあることは知っている」との回答がありました。なお、2001年には、センターの所長の職権による仮放免は1件で、その理由は「結核」に感染していることがあきらかになったためというものでした。
2003年9月17日  中島真一郎(コムスタカー外国人と共に生きる会)
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公判傍聴のお願い

元中国残留孤児:井上鶴嗣さん家族の支援をしてくださっているみなさまへ
控訴審第二回公判傍聴のお願い

「強制収容」問題を考え、子どもの学びと発達を守る熊本の会
代表 井野幸子

 2001年11月5日入国管理局による強制収容、12月17日法務大臣の退去強制令書発付がなされました。「妻の子どもは私の子ども、決して離れたくない」と、井上さん家族は裁判で,退去強制令取り消しを求めてきました。しかし2003年3月31日福岡地裁では、不当な敗訴判決が言い渡されました。井上さん家族は「まだ終わっていない」と、その日のうちに控訴しています。7月14日に行われました第一回公判では、4人の子どもたちも含め、原告みずからの思いが意見陳述として述べられました。

 第二回公判では、こちらからの反論の書面の提出、また大阪で法務大臣の在留特別許可が下りた家族について、なぜ許可がなされたかの回答が、法務大臣から出されることになっています。全国で同じように在留資格を取り消され、闘っている家族のみなさまと共に、一筋でも希望の光を見出したいと思います。また、こちらからは、大変心強い意見書も提出されることになっています。また、今後の証人調べなどの予定も決まっていくことになります。
さて、大村入国管理センターに収容されているお父さんについては、7月30日に九弁連に人権救済申し立てを行いました。その後、長崎へも、同じように人権救済申し立てを行いました。まだなお、仮放免はかなえられていませんが、ようやく、長崎から調査が入れられることになりました。

 是非多くの方の傍聴をお願いします。
☆2003年9月22日(月)午後2時より
福岡高等裁判所 五階大法廷

☆公判終了後 報告集会
同じ敷地内の弁護士会館にて

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中国残留孤児井上鶴嗣さんの妻の娘家族7人の退去強制問題報告
―3月31日の行政訴訟判決公判は、原告の請求を棄却する不当判決でした。
原告は、判決を不服として即日控訴しました。

コムスタカ―外国人と共に生きる会 中島真一郎

1、はじめに
1990年代後半から、中国残留孤児の家族を装う「偽装日系人」の摘発が全国的に行われ、おそらくこれまで数千名の中国籍の子どもを含む家族が、入管の摘発により「不法・違法入国者」として退去強制されたり、自主出国してきました。そのなかで、関西のNGOを中心に就学中の子どもを入管施設に収容しない闘いや、養子や再婚した配偶者の子のケースで法務大臣へ在留特別許可を求める運動が展開されてきました。
熊本県菊陽町の井上さんの家族のケースも、2001年11月5日の福岡入管の摘発により突然いなくなった2家族7名をすぐに探し、入管へ抗議に行った井上さん家族や学校の先生がいなければ、11月8日には退去強制されて、数多くある退去強制された入管法違反事件の1つとして終わっていました。収容された7名のうち4名が、異議申し立て放棄書に署名を拒否し踏みとどまったこと、弁護士が接見に入り一旦署名した3名も撤回し、全員が法務大臣への在留特別許可を申請しました。
その申請は、2001年12月14日に法務大臣が裁決を不許可としたため、在留特別許可は認められませんでした。そのため7人は、法務大臣などを被告に裁決や退去強制令書発付処分等取消訴訟の行政訴訟を福岡地裁へ提訴しました。提訴後、2003年12月17日に福岡入管に再収容されていた7人のうち、母親2人と子ども4人は仮放免が認められ釈放されましたが、父親の井上浩1さんは仮放免が認められず、長崎県大村入国管理センターに身柄が移送され、収容され続けます。
この訴訟は、中国残留孤児の再婚した配偶者の子のケースの訴訟として全国ではじめての訴訟(他に大阪地裁で2例の訴訟が後に提訴されます)となり、約1年5ヶ月の期間に7回の公判をへて、2003年3月31日に判決公判を迎えました。

2、判決公判
2003年3月31日(月曜日)の判決公判には、70名を超える人々が傍聴に来てくれました。そして、提訴から結審までの期間のマスコミの関心が低かったので、福岡地裁前での報道陣の数の多さにも、びっくりさせられました。
同日午後1時10分に福岡地裁301法廷で、福岡地裁第3民事部の木村元昭裁判長は、退去強制令書発付処分取消等請求事件において、「1、原告の請求をいずれも棄却する。2、訴状費用は原告らの負担とする」との原告敗訴判決を言い渡しました。
その瞬間、敗訴がわかると原告らは、凍りつくような沈黙の後、泣き続けました。長女の菊代さんは傍聴席にいた中国残留孤児井上鶴嗣さんに、「お父さん、離れたくない」と抱きつき、次女の由紀子さんは、母親の井上琴絵さんに抱きつき「お母さん、離れたくない」と泣きつづけました。そして、ショックで気を失い、体調悪化で裁判所から救急車で病院へ運ばれました。井上鶴嗣さんは、原告である娘や孫を「まだ終わったわけじゃない、まだ闘うんだ」と励ましました。
この裁判で勝訴する以外、日本での在留を認めさせる道がない原告らにとって、敗訴もありうることも予想していたとはいえ、この裁判での勝訴への期待が大きかった分、わずか1分もない敗訴判決の言い渡しには、言葉でいいあらわすことのできないショックをうけていました。

3、判決後の報告集会
同日午後1時50分から福岡弁護士会館3階ホールで、マスコミ関係者への記者会見と傍聴参加者への報告集会を開きました。原告側弁護団の主任弁護人である松井弁護士が判決文を速読して、「全く不当な判決だ。裁判所は法務大臣の裁量権の逸脱に対して、余りに臆病になりすぎている。井上鶴嗣さんや原告にとって家族がいかに大切であるかを裁判所は十分理解していない。控訴して争わざるを得ない。被告には、原告特に子どもたちの教育を受ける権利を侵害しないように、この裁判が確定するまで、決して原告らを収容しないでほしい。マスコミや支援者の方々にも、この家族が日本で1緒に暮らせるように世論の喚起と1層の支援をお願いしたい」との判決へのコメントがなされ、判決内容の概要の説明がおこなわれました。
中国残留孤児井上鶴嗣さんの「判決には納得できない、中国で家族と引き離された私は、人生の最後を家族と1緒に過ごしたいだけ、又再び娘や孫と引き離されたくない。まだあきらめるわけにはいかない」との発言がなされました。熊本の会の井野代表から今後の控訴審へむけて原告家族や裁判への支援が訴えられました。
支援者や参加者からの意見表明や質疑をへて、松井弁護士より、即日控訴していくことが表明されました。報告集会終了後、弁護団と支援者で福岡地裁に控訴状を提出し、即日控訴しました。また、控訴状の写しをもって、福岡入管審判部へ行き、「控訴したことを伝え、原告のうち仮放免が認められている6名の母子について収容しないように」申し入れました。入管側は、「まだ入管としてどうするかは決めておらず、要望はお聞きした」との対応でした。また、「執行停止の申し立てをされるか」と入管側から聞かれたので、弁護士は「早急に申し立て行う」と答えました。弁護団として、送還停止の執行停止が1審判決までしか認められていないため、改めて4月5日をめどに控訴人7人の執行停止の申し立てを行います。
救急車で病院に運ばれた井上由紀子さんも、同日夕方には漸く落ち着き自宅に帰りました。敗訴判決にショックを受けていた子どもたちもしだいに落ち着き、「泣いていても勝てるわけではない、学校やアルバイトを普通にしていく」と話す子もいます。「仮放免」といういつ収容されるかわからない不安を抱えながら、原告家族にとって裁判を担うこと以上に「仕事をし、学校に行き、アルバイトをして普通に暮らしていく」こと自体が闘いです。

4、判決の概要について
(1)法務大臣の裁量権について
この判決で、福岡地裁第3民事部は、法務大臣の裁量権について「在留特別許可を付与するか否かを判断する場合には、法務大臣に広範な裁量権があること」を認め、「付与しなかったことが違法となるのは、その判断が全く事実の基礎を欠き、又社会通念上著しく妥当性を欠くことがあきらかな場合に限られる」として、法務大臣の広範な裁量権を認めながら、違法になる場合の事由を限定しながらも違法となる場合があることを認めています。
(2)条約等違反の主張
国際条約に違反し、本件処分は違法との原告の主張には、「被告法務大臣が裁量権を逸脱・濫用したか判断するに当たって、本件裁決が直ちに条約違反となるものでなく」として、原告らの主張を斥けていますが、「我が国が上記条約を批准していることを判断の1事情として考慮することはありえる」ことは認めています。
(3)入国の経緯について
原告家族の入国の経緯については「在留特別許可を付与するか否かは、法務大臣の広範な裁量権の範囲にあり我が国の出入国管理行政秩序に対する影響等の大きさを考慮するため、違反行為の程度、内容についても当然考慮することができると解すべきである」、その上で、原告家族の入国経緯を具体的に検討すると「原告ニ家族の入国経緯については、我が国の出入国管理行政秩序を乱すものとして、重大な違法であるとの評価されるべきである」としています。
以上の判断を前提にすれば、「法務大臣には広範な裁量があり、原告の入国経緯の重大な違法性を評価すれば、その余の原告の主張を検討するまでもなく、原告の請求には理由がない」との判決を言い渡すことも可能であったようにも思えます。しかしながら、判決は、本件について具体的な事情を検討して、本件訴訟の原告主張の2つの柱である@原告に「定住者」の在留資格が付与されるべきこと、A子どもの福祉及び教育について、以下のような判断を示していずれも原告の主張を斥けています。実は、本件判決の意義は、原告側の主張を具体的に検討して、原告の主張を斥けている点にあります。
(4)原告に「定住者」の在留資格が付与されるべきこと
「原告らが、中国残留孤児の井上鶴嗣の継子であることや事実上の家族のつながりがあること」を認め、「それらの事情が在留特別許可が認められる有利な1事情として斟酌されることがあること」をみとめ、「また家族と1緒に暮らしたいという思いも何ら保護に値しないものではないこと」までは認めました。しかしながら、「上記のような事情があるからといって直ちに原告につき告示の規定を適用ないし類推適用して在留特別許可付与しなければならないということにはならない」としています。
ア 「入国経緯に違法がある外国人に、入国の経緯よりも日本人等との婚姻や子の養育などの身分や地位に基づき、年間5―6千人に在留特別許可が付与されている」との原告の主張に対して、判決は「婚姻を理由とする在留特別許可と本件のようにそもそも入管法別表第ニ及び告示に規定がない場合とを同視することはできないこと」
イ 「インドシナな難民と同じように取り扱われるべき」との原告の主張については、「インドシナ難民については政治的な判断によってこれを告示に規定したものであり、中国残留孤児の継子がインドシナ難民に類するとして取り扱われるべきかについては極めて政治的な判断によるものであって、直ちに被告法務大臣の裁量権の範囲が限定されるものでないこと」、
ウ 「本件は父母の婚姻時1歳と3歳で、日本人実子や6歳未満に認められる特別養子と同じに扱われるべき」との原告の主張については、判決は「幼少の継子と日本人実子又は日本人の特別養子との関係についても、異なる取り扱いをしても直ちに不合理なものとはいえないこと」、
エ 「1990年の定住者告示が日本人の配偶者である外国人の連れ子について、未婚・未成年を要件としていることは不合理な差別である」との原告の主張に対して、判決は「日本人の配偶者である外国人の連れ子について、未成年・未婚である場合に限って、『定住者』の在留資格が付与されていることも特段不合理なものといえない」と斥けています。
(5)子どもの福祉と教育について
 「確かに原告子らは、本件における入国経緯の不法性について何ら責任がなく、原告親らの意思によって、それまで慣れ親しんだ中国を離れ、日本において学校生活を送ることになったにもかかわらず、その後日本語の会話能力を取得して友人などを得るに至った原告子らの努力は十分に理解できる」としながらも、「しかしながら、そもそも、原告子らの日本における生活は、原告子らの保護者である原告親らが作出した虚位の身分関係を基礎とした、不法残留という違法状態の上に築かれたものであって、そもそも法的保護に値しない」と子どもの福祉と教育の権利を否定し、「原告子らは、3―5年の期間ではいまだ本邦に定着性があるとまでいないこと、いまだ可塑性を有する年齢で中国に強制送還した後にも、中国に置いて学習することが不可能であるとはいえないことを考慮すると、原告子らに対して在留特別許可付与しないことが、被告法務大臣の裁量権を逸脱濫用したものであるということはできない」としています。
(6)その他の事情
原告親(井上菊代さんと、由紀子さん)の中国語の能力、中国における家族の生活、日本での定着性、井上鶴嗣・琴絵夫妻の扶養についても、判決は「原告親は中国に帰国しても、十分生活していけること」「日本での定着性は認められない」「扶養も実子により不可能でないこと」としています。
(7)結論
判決は、以上の検討をへて、「被告法務大臣が判断の基礎とした前記の各事情を考慮した上、原告らが、本邦に入国後は平穏な生活を送っていたことを考慮しても、原告らに在留特別許可を付与しないことが社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかということはできない」と原告の請求を棄却しました。
5、判決への批判と評価
2003年3月31日の福岡地裁民事3部の判決は、要約するに「中国残留孤児の再婚した配偶者の子であるという身分や地位が在留特別許可の有利な事情の1つであること、原告ら家族に、事実上の家族関係という実態があること、入国後平穏にくらしていることなどを認めましたが、本件の具体的な事情を検討した上で、原告家族の入国経緯について重大な違法があったことなどをより重視し、法務大臣の裁量権を広く認めて、原告らに在留特別許可を付与しないことが社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかということまではできない」と原告の請求を斥けました。
このように判決は、「法務大臣の裁量権を広く認め、入国の経緯の違法性と、原告の日本人の再婚した配偶者の子の地位や身分や家族としての実態があることなどを比較考慮して、前者を重視した結果、上記の結論に至った」との論理構成をとっています。 
原告は、この訴訟で「入国時の経緯について事実関係を認めた上で、それに至る事情については反論釈明しましたが、入国の経緯よりも、原告の地位や身分、家族としての実態があることを重視して判断すべき」と現在の在留特別許可の運用の実情に沿って主張してきました。そして、「原告に定住者の在留資格が付与されるべきこと」というその理由や根拠を示す原告の主張をことごとく斥けていますが、「不合理でない」とする理由の前に「直ちに」や「特段」とか記され、具体的なケースによっては、「不合理となりえる」ことがありうるような表現となっています。
この判決は、なぜ、本件原告らについて、入国の経緯の違法性がより重視されるのかについて説得力ある根拠が示されておらず、その実は、1990年の「定住者告示」(法務省令)に当てはまらない本件ケースについて、法務大臣の裁量権の濫用を認定することにしり込みして逃げた判決でもあります。この判決は、仮に「原告家族に在留資格を付与する判断を法務大臣がおこなっても、当然裁量権の濫用にならない」という判断を前提としており、この判決の論理構成でも裁判官の価値判断次第では、原告の請求を認める判決を出すことも可能です。むろん、そのような判決を福岡地裁の裁判官に導かせるに至らなかったことこそ、今後の課題です。
今後、福岡高裁の裁判官に「原告らに在留特別許可を付与しないことが、社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである」との判断を出させるため、定住者告示の問題、中国残留孤児の歴史的問題や政府の責任、インドシナ難民などとの類似性の証明などの立証をして控訴審を闘うとともに、この問題への理解を広く世論に訴え、政府や国会へも働きかけ、現在の定住者告示を中国残留孤児の帰国家族に当てはめることをやめさせていく運動が必要です。
福岡地裁で第1審判決が言い渡された2003年3月31日は、原告家族にとって、怒りと悲しみの日でした。中国残留孤児井上さん家族が、心から喜びと希望を見出せる日が来ることをめざして、今後ともがんばりましょう。

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2002年11月29日
「子どもを、家族を引き裂くな、―中国残留邦人の呼び寄せ家族の退去強制の事例から」
院内集会など東京行動の報告

コムスタカ―外国人と共に生きる会 中島真一郎

1、院内集会の報告
 11月29日午前11時30分から、参議院議員会館第四会議室において、院内集会「子どもを、家族を引き裂くな、―中国残留邦人の呼び寄せ家族の退去強制の事例から」が「子どもを・家族を引き裂くな院内集会実行委員会の主催で開かれました。この院内集会には、70名を越える参加者があり、民主党の菅直人衆議院議員、今野東衆議院議員、社民党の大脇雅参議院議員、中川智子衆議院議員ら14名の国会議員と議員の代理として三名の秘書の方の参加がありました。
 まず、石井小夜子弁護士が、『中国残留邦人のおかれている現状について』とのタイトルで、「中国残留邦人とその家族は、国家によって翻弄されて放置されてきた。また、帰国後も生活保障や就職、教育などさまざまな支援が必要であるのに、十分な支援がなされてこなかった。そして、中国帰国者の家族に対しては、一般外国人とまったく同じに扱っているため、旧植民地出身者(在日外国人)に対しては、事実上退去強制手続きが行われていないのに比べて、入管法第24条の退去強制事由に該当する場合には退去強制されることになる。国は、戦後責任を果たすため、中国残留邦人家族に対して退去強制をなくし、その在留権をなくし保証すべきである」と、20分ほど報告がなされました。
 その後、院内集会に参加した議員の自己紹介とアピールが20分ほどなされた。そして、「子どもの収容熊本事件」と題して、井野幸子代表(「子どもの強制収容問題を考え、子どもの学びと発達を守る熊本の会」)から、昨年11月5日に福岡入管が行った就学中の子ども4人を含む元中国残留孤児の再婚した妻の子2家族7人の摘発と収容事件の報告、そして、元中国残留孤児の井上鶴嗣さんと、その妻の井上琴絵さんのから家族7人の在留を認め、大村の入国管理センターに1年以上も収容され続けている馬好平さんの仮放免の実現を求めるアピールがなされました。
 続いて、「子どもの退去強制の事例から」と題して、草加道常氏(RINK―すべての外国人労働者とその家族の人権を守る関西ネットワーク)から、一九九九年以降関西を中心に入管の摘発により子どもを含めて収容・退去強制される「教室から消えた子どもたち」の実状が報告された。特に、20歳の誕生日に法務大臣の裁決がなされ、退去強制令書が交付されて収容されつづけている柳建夫君の問題を中心に、入管の子どもの就学権を無視した退去強制のあり方を批判された。
 そして、最後に要請書に名を連ねたNGO10団体の紹介をかねて、参加している各団体の代表から一言ずつ自己紹介とコメントがなされ、予定されていた1時間30分の時間をすべて使って、院内集会は終了した。昼食後、法務省へ要請書を提出するため移動した。

2、法務省への要請行動の報告
 11月29日午後2時30分から午後3時まで、法務省において、今野東衆議院議員とともに、NGO10団体による法務大臣あての4項目の要請書の提出をおこなった。「子どもの収容熊本事件」関係から元中国残留孤児の井上鶴嗣さんと妻の琴絵さん、井野幸子(熊本の会)代表と私(コムスタカー外国人と共に生きる会)の4人、それに高橋徹氏(入管問題調査会)、長野浩久氏(中国帰国者の会)の6名が参加した。
この日は、私たち10団体のNGOの要請書とほぼ同趣旨の内容であるが、民主党のSC(シャドーキャビネット 影の内閣 法務大臣)平井議員と今野議員の連名で民主党からも要望書が、増田法務省入国管理局長あてに提出された。そのため、法務省からは、入管行政のトップである増田入国管理局長を含めた関係者数名が出席した。
まず、増田局長から、民主党の4項目の要望について、以下のような回答の説明がなされた。
要請内容
(1)血のつながりはなくても、家族の実情を考慮し、在留を認めて下さい
中国残留邦人の養子に限らず、日本人の外国籍養子の場合、民法の817条にありますように、特別養子であれば、日本人の配偶等という在留資格に該当することなります。それ以外の普通の養子についてですが、これは法務大臣が特別な事情を考慮して一定の在留者を決めて居住を認めている「定住者」という在留資格がありまして、定住者について定めている告示によりまして、中国残留邦人の扶養を受けて生活する6歳未満の養子につきましては、規則で定住者の在留資格に該当する。したがって、入国が認められることになりますが、中国残留邦人の普通の養子、そしてまた中国籍の方の場合で6歳以上の普通の養子の方の場合は、これは本邦への入国は認められないというのが今の法律です。
(2)退去強制事由に相当する場合でも、本人や家族の実情を考慮し、在留を認めて下さい
退去強制事例にあたる外国人につきましても、入管法50条第1項の中にあります。61条の2の8というのがあります。そういうときにあたるときには、我が国に在留することを特別に許可することがあります。それを許す、許さないについては、事案ごとに退去強制の違反の対応であるとか、なぜ日本に在留を希望されるのか、その理由とか、家族の状況、生活の状況、言葉は悪いですが、日本における素行・ふるまい、その他の法違反者に与える影響、内外の情勢など、諸般の事情を総合的に考慮して在留を特別に許可するかどうか決めるようにしている。したがって日本に家族がいる場合、人道的な配慮をしてもらいたいという申し出ですが、もちろんそれは家族の状況などいろんな事情を考慮して決めるということになるわけで、家族ということのみの理由で、家族だからというそれだけで一律に在留を特別に認めるということは適当ではないという考えです。
(3)入国管理局の収容施設に収容されている人で裁判係争中の人には仮放免を認めて下さい
退去強制令書発布処分取り消し訴訟などで1年以上長期に渡って収容されている人たちの裁判係争中の仮放免を認めていただきたいという要請ですが、一般的に入管法54条の規定がありまして、その規定によって仮放免の請求があった場合は、入国管理収容所長あるいは、主任審査官などの役職に就いている人が、その収容されている人の情報であるとか、仮放免を求める理由となる証拠であるとか、あるいはその仮放免を求めている人の性格であるとか、資産とかいろんなことを考慮して総合的に判断したうえで仮放免を許すかどうかを決定することになります。収容されている人が裁判で係争中でありましても、訴訟は代理人の弁護士さんがついている場合は訴訟代理人によって遂行可能ですし、それから収容されている人が弁護士さん訴訟代理人と面会する場合は、入国警備官も立ち会わない、自由に面会していただくなど、訴訟活動を妨害しないようにと配慮をしています。したがって訴訟継続中であるということ、あるいは訴訟継続で1年以上収容されている、そういうことのみをもって、そういう場合は一律に仮放免だという、そういうふうな判断は必ずしも適当ではないと考えている。結局はさまざまな事情を個別に判断して仮放免をゆるすかどうかを判断することを考えている。
(4)入管の収容施設には、未成年者、障害者、病気の者、妊婦、難民申請者は収容しないで下さい
退去強制令書を発付された外国人については、入管法の52条3項に規定がありまして、退去強制者はすみやかに日本の外に送還するということが法律に定めてあります。送還することができない場合は、入管法52条5項の規定により「送還が可能になる日まで収容する」ということになっていますので、収容されることになります。退去強制令書による収容が長期にわたるというのは本来望ましいことではないので、、できる限り迅速に送還しなければならないという考え方でいます。現実には種々の理由から収容期間が長期に及んでいる場合もあります。そういう場合には本人の健康状態等、個別の事情を考慮しまして、身柄の拘束を解く必要がある、好ましいと判断する場合は、仮放免を弾力的に運用など柔軟に対応させていただく。
増田法務省入国管理局長から、民主党の4項目の要望への回答の説明がなされた。
その後、「子どもの収容熊本の事件」について、同席していた法務省入国管理局担当者と以下のようなやり取りをした。
元中国残留孤児井上鶴嗣さんから、「再婚した妻の子は、血は繋がっていなくとも、同じ家族であり、妻の子は自分の子である。昨年11月に入管が摘発した7人の家族に在留特別許可を認め、いまだに大村の入管収容センターに収容し続けている馬さんの仮放免の実現を一日も早く認めてほしい」と訴えられた。
そして、私の方から、先ほどの増田局長の説明は、入管法の定住者の告示に規定されている普通養子の場合には「六歳未満」となっていることの説明でしたが、今訴えられた井上鶴嗣さんの家族の問題は、再婚した妻(井上琴絵さん)の二人の娘さん家族7人の退去強制問題で、入管法の定住者告示では、「未婚・未成年」が要件となっています。先ほど井上鶴嗣さんが説明されたように、同じ家族として育て、家族の実態があるのに、日本人の実子が成人した場合には、定住者の在留資格が認められるのに対して、再婚した配偶者の子が成人していた場合には認められないのは、不合理な差別です。1990年に定められた定住者告示にも、インドシナ難民の家族の結合については、養子の場合にも「六歳未満」の要件は規定されておらず、「随伴する家族にも人道的な配慮をする」という規定があります。そして、中国残留孤邦人は、政府から長期間放置されて帰国できない状態に置かれていたという歴史的事情がありますので、インドシナ難民と同様に井上鶴嗣さんの家族七人に対して、在留特別許可を認め、定住者の在留資格を認めることを要請します。それから、この家族7人のうち母子6人は仮放免が認められていますが、夫であり子の父親である馬さんは、昨年の摘発以後1年以上収容されたままです。7人については、福岡地裁で行政訴訟が係争中ですが、裁判所から送還停止の執行停止が認められており、1審判決までは退去強制はできない状態ですから、馬さんにも速やかに仮放免を認めるように要請します、と述べました。
増田局長は、再婚した配偶者の実子には「未婚・未成年」と要件が定住者告示に規定されている事を知らなかったようでしたが、同席した法務省の担当者が、「個別のケースについて回答しない」といつも法務省は言っているはずなのに、「熊本の井上鶴嗣さんのご家族のケースについては、よく知っております。ところで、行方不明の2名の方については、いまどこにおられますか。2人は、上陸許可が取り消され、不法在留となっているはずですが」と、井上鶴嗣さんを追及してきました。

再婚した妻の琴絵さんの娘二人のうち由紀子さんは、体が弱く貧困から育てられないとして命を助けるため小さい時に養子に出された。日本に1983年に永住帰国した井上鶴嗣さんと琴絵さん夫妻は、中国の養子先で幸せに暮らしていると思っていた由紀子さんが、実は養子先で虐待を受けるなどひどい目にあっていたことを、1993年に中国を訪れ由紀子さんへ28年ぶりに再会したときに聞かされた。そして、由紀子さんを養子に出したことを悔やみ心を痛め、なんとか日本に呼んで一緒に暮らせるようにしたいと思い続けていた。田舎に住んで手続きのよくわからない由紀子家族は、養子先の兄が公安局に勤務していたため、1998年に「苗字」を変えるなど来日のための手続きを依頼した。しかしながら、養子先の兄から手渡された来日のための必要書類には、由紀子家族や井上鶴嗣さんと琴絵さん夫妻が知らぬ間に養子先の兄の子2人も由紀子夫婦の実子として手続きされていた。これに抗議しようと思ったが、抗議すれば由紀子家族が来日もできなくなるとして、結局養子先の兄の子2人も由紀子家族4人と共に井上鶴嗣さんの孫として来日した。これらの行為は、養子先の兄からの強要によるものであり、由紀子家族は、養子先の兄から見返りをもらうようなことはなかった。むしろ来日後、養子先の兄からさまざまな名目をつけて金員を要求され続け、由紀子家族は、同人から脅されるなど要求に逆らうことができず送金させられた。日本への渡航を望んでいた由紀子家族の弱みにつけこみ、自分の二人の子を渡航させ、由紀子家族から金員を交付させたのも養子先の兄であり由紀子家族はその被害者であった。井上鶴嗣さんと琴絵さんの夫妻は、養子先の兄の子二人が一緒に来日してきたことを苦々しく思っていたが、養子先で苦労をかけた由紀子さんを来日させ、日本で親子として一緒に暮らしていくために、仕方がないと考えていた。その二人は、来日後学校に行っていたが、井上鶴嗣さん家族らとうまくいかず、来日半年後の1999年春より熊本から東京に移住していった。二人は、2001年10月に在留資格の更新申請を東京入管へ行ったが、在留期限(3年)をすぎても東京入管から連絡がないままであった。2001年11月の熊本県での井上鶴嗣さんの再婚した妻の子2家族7人の摘発がなされてから約1ヵ月後の12月10日に、東京入管は2人に出頭を求める通知を簡易書留郵便で送ってきた。井上鶴嗣さんの家族は、2人に入管へ出頭するように話をしたが、2人は入管からの摘発を恐れて行方不明となった。以後、2人と原告7人及び井上鶴嗣さん及び琴絵さんのとの間に連絡はない。
井野代表から、「二人のことは、入管にも事情を説明していますので、事情は知っておられるのではないですか。二人の問題と、井上鶴嗣さん家族7人の問題は別なのではないですか」、私からも「井上鶴嗣さん家族が二人を匿ったり、逃がしたりしているわけではありません。もし、二人から家族に連絡があれば、入管へ出頭するように伝えるようにしていますが、二人と井上鶴嗣さん家族とは連絡がとれなくなっております」と説明した。
法務省の担当者が「仮放免は、本省ではなく入国管理センターの所長の判断でなされます」と説明したことに対して、「今年8月下旬に大村の入国管理センターに国会議員の方と一緒に訪れ、所長らと意見交換会をしました。入国管理センターは長期収容の施設ではないにもかかわらず、帰国のめどや、仮放免のめどが立たないまま、長期収容されているケースがあり、なかには自殺未遂(入管用語で、『自損行為』)をはかった人が大村でも数例ある」とのことでした。
先ほどの回答で、増田局長は「仮放免を弾力的に運用している」と言われましたが、大村入国管理センターで、所長の判断で仮放免がみとめられたのは、病気を理由とする1名にすぎず、所長からは、「訴訟などの係争中を理由とするなどの場合は、所長だけの判断でなく本省との相談の上決定する」と説明を受けており、仮放免は弾力的に運用されていません。馬さんの仮放免は過去4回申請しましたがすべて不許可となっています。所長に要請しても、本省に掛けあわないと埒のあかない問題としてあると判断して、今日東京の法務省に熊本から5人で、要請しにきました。一日も早く仮放免を馬さんに認めてください」と要請しました。
このようなやりとりで約束の時間の午後3時となり、今野議員からの「井上さん家族の問題はいろいろ事情があるのかもしれませんが、今日の要請状の趣旨をご理解いただき、入管として善処していただきたい」と締めくくり、30分ほどの法務省への要請行動を終えた。
その後、法務省記者クラブで、記者会見を行いました(朝日新聞が全国配信し、九州山口をエリアとする西部本社管内では写真入の記事が、また共同通信配信で、熊本日日新聞社が写真入の記事が11月30日に掲載されました)。

三、弁護士会館での交流会
午後4時すぎから午後5時半過ぎまで、弁護士会館会議室で、今日の行動の反省会と交流会が開かれました。要請団体10団体のうち、「子どもの収容熊本事件」関係6名(井上さん家族3名、熊本の会2名、コムスタカ1名)、関西のRINKの関係者3名、日中友好雄鷹会から2名、全国在日外国人教育研究協議会1名、中国帰国者の会2名、入管問題調査会2名、新聞記者1名、弁護士1名など約20名が集まりました。
参加者それぞれが自己紹介と感想や意見などをのべました。井上鶴嗣さんと琴絵さん夫妻ら熊本からの参加者は、院内集会、法務省、記者会見、交流会と4回も話をするというハードスケジュールで、11月29日は午前4時に起きて東京へ行き、最終便で羽田から福岡に帰り、熊本の家に帰り着いたのは深夜正午前という文字通り「長い一日」でした。しかし、「子どもの収容熊本事件」の家族7人の退去強制問題を、東京へ行き国会議員や法務省入国管理局長らの法務省の幹部、法務省記者クラブ、各地のNGOの皆さんへ訴えることができた貴重な場となりました。

四、まとめ
今回の院内集会、法務省への要請行動は、中国残留邦人の呼び寄せ家族の退去強制問題を共通のテーマとして、NGO10団体の連名による共同の行動として院内集会や法務省との要請行動が行われたこと自体はじめて取り組みとして大きなな意味を持つ。以下、今回の行動で中国残留邦人の呼び寄せ家族の退去強制問題にその家族と共に取り組んでいるNGOの主張の私なりの要約です
中国帰国者の会は、「中国残留邦人やその家族が、帰国後にも就職、生活、教育、老後などの問題に不十分な支援しかうけられず放置されてきた。帰国後の日本での生活の苦しさや差別のなかで、中国残留邦人の家族が犯罪をおかし、有罪判決で一年以上の実刑判決をうけると、入管法第24条により退去強制とされてしまう問題で、特別永住者と同様に退去強制をしないようにしていく取り組みの必要性」を訴えられた。
日中友好雄鷹会からは、「90年入管法の血統主義が全ての問題の原因であると認識しています。中国残留邦人の呼び寄せ家族に90年入管法の血統主義を適用するな、中国残留邦人家族の帰国事業を90年入管法の枠組みに入れるな、戦後責任として特別扱いして中国帰国者の家族統合を保障せよということです。インドシナ難民に同様に適用せよというのと同じです。現90年入管法においてさえ、定住資格ビザを法務大臣の裁量権を行使して『高度な政治判断』でやれば出来るはずです」との考え方が述べられた。
RINKからは、「入管は、最高裁のマクリーン判決(1978年)『基本的人権は外国人にも適用されるが、その保障は国の裁量で許否を決する外国人在留資格制度の枠内で与えられているにすぎない』の立場にたっているが、このような考えは、国際人権条約(子ども権利条約、国際人権規約等)に反している。国際人権条約によれば、例えば子どもの就学権などの権利は入管の在留資格制度より優先して保障されなければならない。日本人との「血縁」関係の有無を問題とする「血統主義」により規定・運用されている入管制度は、国際人権条約にもとづく規定や運用にかえていかなければならない」との考え方が述べられた。
コムスタカ、及び熊本の会から、「1990年に定められた定住者告示が、同じ家族としてあり、家族の実態があるのに、再婚した配偶者の子に対して『未婚・未成年』の要件を求め、日本人の実子と異なる扱いをするのは差別です。1990年に定められた定住者告示にも、インドシナ難民の家族の結合については、養子の場合にも「6歳未満」の要件は規定されておらず、「随伴する家族にも人道的な配慮をする」という規定がある。とりわけ中国残留孤邦人は、政府から長期間放置されて帰国できない状態に置かれていたという歴史的事情があるので、インドシナ難民と同様に人道配慮規定を設けるか、それを準用して在留を認めるべきである」との考え方です

それぞれの団体が抱えている具体的なケースの違いや団体の理念の違いによりアプローチの仕方は、それぞれ異なります。1997年ごろから中国残留邦人及び呼び寄せ家族に対する入管の摘発、収容、退去強制など数多く行われ、その大半が「不法入国者」「不法上陸者」として、中国残留邦人の家族に偽装した「犯罪者」のように取り扱われ、一方的に退去強制されてきました。しかし、熊本の井上鶴嗣さん家族のように、この問題を入管による人権侵害として、日本での在留を求めて闘う家族もいまだ少数ですが現れてきています。それらの戦いは、いまだ各地に点在しているに過ぎませんが、一一月二九日の共同行動を通じてそのいくつかが結びつき、国会議員や法務省やマスコミに訴え、入管行政や政策の問題として焦点化するための第一歩になったと思います。
今後、各地での取り組みを強めながら、より多くの当事者としての中国残留邦人の家族が参加し、民主党や社民党の議員だけでなく与野党すべての国家議員へ働きかけ、多くのNGOや市民の支持と共感をえて、法務省を包囲して、現在の入管行政の転換を実現させていくことが求められています。

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 私は熊本県から来ました。I.H.です。今はまだ、中学校に在籍していますが、今度の外国人高校生交流会に参加する事ができてとてもうれしいです。

 私は家族と一緒に1998年10月28日に日本に来ました。最初に日本に着いた時、実のおじいちゃんとおばあちゃんに会えてとてもうれしいです。まだ、私の人生が始まると思うとすごく不安です。日本にきて約2ヶ月ぐらいずっとおじいちゃんの家で生活していました。それから新しい家を見つけ、家族4人で暮らす事になりました。それから一週間、生活指導員の先生が私とお兄ちゃんのために学校をさがしてくれました。日本に来て2ヶ月ぐらいでひらがなとカタカナは少し分かりますけど、話すにはまだずいぶん時間がかかります。だから先生達と面会するには「おはようございます」しか言えませんでした。面会が終わって学校を見まわって、次の日にもう学校に通う事になりました。私が通ってる学校は熊本市にあるN小学校でした。全然違う環境の中で、違う国の人たちと一緒勉強するのが怖くて、不安がいっぱいです。最初学校に行って担任の先生と会い、それで一緒にクラスに行きました。クラスに言った瞬間顔がすごく怖かったでした。みんなが私のほうを向いてこそこそとしゃべっていました。先生が黒板の前に立ち、チョークを持って「中国から来ました、I.H.です」と書きました。それで先生が「自己紹介をしなさい」と私に言いました。私は息をのみこみしわがれた声で「中国から来ましたI.H.です。よろしくお願いします」と言いました。それでクラス一人ずつ自己紹介をし、全員終わりました。後ろにあるあいているのいすに座りました。頭が真っ白になり、でも顔がすごくあつく感じています。日本の学校の初めての一日は普通でした。でも日が長く続いて、毎日誤解ばかりの学校生活でした。ある日友達が授業で使う板を踏んでこわれてしまいました。みんなからいろいろ言われて、怖くて怖くてどっかに逃げ出したいです。でも足の下に何かくっついて、動けない、もうみんなの声が聞きたくないです。思いっきり泣きました。自分がここえたのはもう自分の泣き声しかありません。それ以来みんなとはあまり話さなくなりました。

 おじいちゃん達は熊本県に住んでいます。お母さんはおばあちゃん達の近くで生活したいという事で、団地の抽選をしました。ある日お父さんが団地が当たりましたよと言った時に、うれしくて悲しい。みんなとは仲が良くないだけれど、まだ知らない人達勉強するのも不安がいっぱいです。本当にそんな簡単に日本の子ども達仲良くなるんですか?という事で、1999年の11月1日はM小学校に転校する事になりました。M小学校にきて新しい先生や友達と出会いました。全然違うところで言葉もあまり通じなくて、先生とや友達との誤解がいっぱいありました!

 私人生の悲しみ、楽しみ思い出が全部日本にある。特に中学生での生活。入学前日の日、私は眠れなくて、じっと夜空を見ていました。夜空を見ながら自分にいろんな質問をしました。友達いっぱい作れるかな?勉強大丈夫かな?言葉が大丈夫などなど。
 いよいよ入学の日です。緊張や不安がいっぱいの日でM中学校に入りました。身が顔がない人がほとんどです。2年生の共通テストの時にふりがなをつけるために先生が私は中国人ですと言った時に、みんなもビックリしました。休み時間に何人かの人が来て「あなた日本語上手だね」と言いました。少しうれしかった。それでみんなと少しずつしゃべって友達がだんだん多くなってきました。中には二人の親友もできました。さらに学校の先生を相談にのってもらったりして、いつのまにか先生達とも友達になりました。私の思うには、教師と生徒の関係だけじゃなく、学校では教師と生徒の関係で、家では友達の関係、今でも続いています。

 日本に来て自分で色んな事にチャレンジして体験していて、この中で悲しいことがありましたけど、楽しい事も自分でたくさん作っていきました。でもこの先にはある悲劇が私の家を待っているのが知りませんでした。

 この中にもう知っている人たちもいると思います。2001年11月5日に福岡入国管理局の人々が来て、いろんな理由で上陸許可が取り消されました。それを聞いた瞬間もう全てが終わり、時間がその瞬間に止まり、私の夢が全て終わったと思っていた。そのときの気持が悲しかった。涙がぼろぼろ落ちてきて悲しいです。おばあちゃん達に電話をかけようとした時に受話器を取られ、切れました。どこにいても入管の人がついてきます。もう中国に帰るんだと思っていました。いろいろな事入管の人がついてきます。もう中国に帰るんだと思っていました。いろいろな事入管の人に頼みましたけど、入管の人がただの2、3日なのでついてきてください。本当にただの2、3日ですかって言った時に、本当ですとちゃんと約束もしました。通訳の人が言い終わった時に母が「うそだよ」と言って「もし荷物など持っていかないと帰ってこれないよ」とはっきりいいました。そう思うと本当かもしれない。だから家族4人一生懸命荷物を片付けて、バックに入れました。入管の人が「はやくやめなさい」って言ってもやめませんでした。朝の7時くらいになって、車に残りました。その車はふつうの車ではなくなんか罪を犯した人を乗せる車みたいでした。おばあちゃんの家の前を通っていきました。そこはおばあちゃんの家ですので、少しぐらいでも話をさせてくださいとお願いをしても「ダメです」と言われました。おばちゃん家族も連れてきました。高速に入ったばかりで雨が降ってきました。「もし、神様が私たちはもう中国に帰ることを知っているから、悲しんでくれたの?」これでもう本当に終わりなの?外の雨を見ながら、そこら辺にもう私の小さい頃いとこのお兄ちゃんたちと遊んでいると見えます。自分が自分の小さい頃の事が見えた!不思議でした。小さい頃から日本に来て、新しい出会い、新しい人生の始まり、新しい友達を作り、新しい思い出全ての新しい出来事が目の前に現れた。今日まで場面が出る時に後ろから何か声が聞こえてきた。後に向くとお兄ちゃんが泣いている。お兄ちゃんの横にお父さんがいます。お父さんのやさしい顔を見つめていました。お父さんの目が潤っていました。どんな苦しい時だって、お兄ちゃんとお父さんの泣き顔見た事がありません。そんな悲しい顔を見ると、私もいつのまにか涙がボロボロ落ちてきた。静かな高速道路走っていた静かな車の中に涙が落ちてくる音しか聞こえません。父と兄はどんな悲しいかすごくすごく感じます。入管についたら別々に話を聞かれました。

 大体、午後の4時ぐらいになって入管の人が別の部屋に連れて行ってそん中に入ったら、もうドアがロックしました。一応こんな理由で収容しますので、二度目の悲劇でした。色々検査されました。たくさんの事をして、もう刑務所に入るような感じで、まだ涙が出ました。中に入ってお父さんとお兄ちゃんとは別室でした。最初に入った時はみんな眠れなくていろいろな事を思い出し、とその時、隣から泣き声が聞こえました。この声が聞き覚えの声だと思うともしかしてお兄ちゃんが…お母さんがお兄ちゃんの名前を呼んで「泣いているの?」って聞いたら、いとこのお兄ちゃんでした。おばちゃんが「どうしたの?」って聞いたら、いとこのお兄ちゃんが中国に帰りたくないですって言ったら、もういっぺんにみんなが泣き出した。そうよね私だって帰りたくないよ。その静かな入管の中にもう悲しい泣き声だけでした。2、3日後先生達とも面会ができ、先生達を見るとなんか久しぶりな感じがしました。涙がボロボロで、でも少しうれしかった。私たちにとってとても大切な人と会えて、悲しみの中でも少しうれしさがある。それから差し入れなどしてもらい、毎日先生達が来てくれて、すごくすごく感動しました。ある日先生たちが仮放免できると言った時がとてもうれしかった。でも、その代わりにお父さんが残らないといけないって聞いた時悲しいです。すごくすごく悲しい。私たちが出ていて、お父さんと離れたくない!離れたくない!離れたくない!私たちはお父さんを見て何も言えない。ただ、お父さんの手をさわって、これから話したくないと強く意志した。私の涙が止まらなくて、お父さんも一緒でした。これ、私の人生にとって一番いやです。あの部屋から出て、先生達を見て、その瞬間考えた事をすぐにも先生のところに行って、先生を抱いて、思いっきり泣く事、おばあちゃんを抱いて泣く事、おばあちゃんお父さんが出られない、悲しい悲しいすごく悲しい。何とかして出してあげるよと言いました。少し安心した。外に出て、久しぶりのおいしい空気を吸う。車に乗って入管を離れていく。今入管の中にいるお父さんはどうなってるの?お父さんは悲しいだろう。この悲しさは3年ぐらい前にもありました。中国のおじちゃん達と離れて悲しかった。でも今回のと比べると今回の方がつらい。

 私とお母さんとお兄ちゃんと一緒に出て少し遊べて、でも中にいるお父さんを思い出する。悲しくなる。お父さんとお母さんがたくさんの病気持っています。お父さんは中にいて何もできません。逆にお母さんは一生懸命働いて、お金を稼ぐ。この苦しんでいるお父さんとお母さんを見て、私さらに悲しく悲しくなります。また二度と、入管に入り、二度お父さんを離れ、お父さんが私宛の手紙を書きました。それをみてもう自分がダメになっちゃう。泣いて泣いていました。それからお父さんが大村に移されました。会うのも難しくなりました。毎回お父さんと会って、お母さんは必ず泣く。私はお父さんの前では泣きません。私は悲しいですよ。でも絶対にお父さんの前では泣きません。もしどうして一人だったら、わたしがお父さんの代わりにしてほしいです。私はいつも家族と口ゲンカするだけど、本当はみんなを愛しているの。特にお父さんお母さん。誰も傷つけないようにとこれから守っていきたいです。今まだ裁判中ですけど、お父さんを早く出してほしいですので、その代わりにみんな応援がほしいです。もしよければ応援をよろしくお願いします。

 最後にこの交流会参加する事ができて、大変うれしいです。この作文は全て真実です。こんな中に分かってくれない人はいるかもしれませんが、今日はここで、自分最大の悲しみがみんなに言えてうれしいです。

 新しいの出会い、新しいの思いで、これらすべてが私の新しい人生の始まりです。どうも、ありがとうございました。


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8月9日 福岡地裁公判傍聴・支援ありがとうございました!
元「中国残留孤児」家族退去強制問題 第4回公判のご報告

 夏休みとはいえ、それぞれお忙しい中、傍聴には40名を越える参加者があり今回もまた遠方より傍聴支援に駆けつけていただきました。
全朝(外)教から神奈川・奈良・兵庫・福岡とたくさんの方が来ていただきました。
熊本からの参加者も増え、家族と共に私たちもずいぶん励まされました。

◯今回の公判の内容は書面として以下のものが出されました。
1、2人の子どもの日本での定着状況(学校生活、交友など)

  4人の内2人は前回済んでおり、今回は日本語習得や学習面での努力、部活でのつながりや署名活動の様子また親友がつくってくれた思い出のアルバムなど。
2、被告への反論
・同じ家族を実子と連れ子に分けて差別的に扱うことは法であること。
・子どもの権利条約に違反していること。
・中国残留孤児については、高度な政治判断を必要とすること。
・前回答えられなかった部分について、再度釈明を求める。
3、次回からの証人申請
 原告7人と元中国残留孤児である鶴嗣さん、琴絵さん実子の方一人について、証人として申請。
4、急遽、署名13291人分提出!
 本当にたくさんの方のご協力ありがとうございました。
 6月7日の提出を見送った後、今回の提出についてはこちらの不手際でみなさまに連絡ができませんでした。申し訳ありませんでした。 けれど、一万人という目標を達成することができました。そのうち子ども達やその保護者が集めた分は2343名、全朝教(全外教)の呼びかけから9463名ありました。
 その署名用紙の束の厚さと重さが、原告の子ども達や家族を大いに励ましてくれました。本当にありがとうございました。


◯更に馬好平さんの仮放免の必要性について弁護士より意見陳述

 2001年11月5日より、収容が9ヶ月以上続く馬さんの仮放免申請を、2002年6月20日に提出。馬さん本人の健康状態(睡眠薬も効かない)、由紀子さんが一人で生活を支え、子どもの養育を引き受け、体を壊したこと、子ども達は進路選択の時期であっても相談ができないこと、家族を分離することは人道上問題であることなどの理由から、仮放免を求めていること。
 その後、次回からの予定について、細かい事務上の手続きを決める非公開の進行協議が9月19日に行われることになりました。第5回公判の日程はその時に決定します。
◯報告集会の様子
 全朝教(全外教)からはいつも心強い支援です。奈良、神奈川、兵庫、そして福岡から参加いただきました。熊本からは、退教協(組合の退職者の先生方)、組合からと参加者が広がりました。通訳も前回に続き来ていただきました。この公判をきっかけに鶴嗣さんたちと親しくなられているところが、うれしく、機械的な通訳では伝わらない部分をしっかり補ってくれました。
 松井弁護士、中島さんから今回の公判について説明がありました。また、私たち熊本の会からは馬さん(浩一さん)の仮放免について、行動要請をしました。詳細は最後に書きます。その後、みなさんから感想、意見などをいただきました。いずれもあたたかく、かつ、考えさせられるものでした。
・大村入管への収容に変わらない日本を感じた
・在日外国人が無視されている状況
・鶴嗣さんと同世代で人ごとではない
・原告のために通訳を是非公判に
・今後の公判について質問…
 それに対して、松井弁護士より、今後の証人尋問からは、弁護団にしていく気持ちがあること、(費用面でがんばらなくてはなりません!)中国残留孤児の問題(国の責任)が浮き彫りになるようなことをしたいので、良い映像や、資料などあれば、出していきたいこと、などが答えられました。  中国残留孤児のことについては東京の国賠訴訟から資料はいただいて、一度提出しています。他に、良いものがあればみなさまからも教えていただけると幸いです。
 
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元「中国残留孤児」家族退去強制問題 第4回公判傍聴よろしくお願いします!

 2001年11月5日に、小中高校生4人を含む2家族が、突然福岡入管に強制収容され、12月17日に退去強制令が発付されました。その2家族が元「中国残留孤児」である井上鶴嗣さんとの「実子」ではなく、その妻琴絵さんの「連れ子」家族であるということが理由とされています。

 しかし、血のつながりはなくとも、家族であると「妻の子は私の子、もう決して離れたくない」という鶴嗣さんの願いがあります。子ども達はもちろん、家族も日本に定着してきていました。本当に私たちも、あたたかい家族として見ていた中、血がつながっていないというだけで、その内の2家族だけが中国に返されることは、人間として当たり前の感覚で考えたときに、どうしても納得のいくものではありません。
 現在、2家族は退去強制令を取り消すための裁判を起こしています。

2002年8月9日
 午前10時10分から
 福岡地方裁判所
 301号法廷(今回も大法廷です)

 前回に続き、今回4人のうち2人の子ども達の学校での様子を中心とした報告も予定しています。

 また、未だ大村入国管理センターに収容されている父親に、家族と共に昨日面会をしてきましたが、涙の家族の対面、わずか30分でまた離ればなれになるという「行きは楽しいけれど、帰りは地獄」という言葉に象徴される、つらい面会でした。何としても、この家族の思いを公判の場で、裁判長はじめみなさまに聞いていただき、日本への在留の道が切り開かれますように、お一人でも多くの傍聴をお願いいたします。

「強制収容」問題を考え、子どもの学びと発達を守る熊本の会 井野幸子
 

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2002年5月22日、井野さんのメールより

1、2002年1月15日の福岡高裁がおこなった、収容部分の執行停止却下決定への特別抗告、抗告許可申し立てについて、最高裁判所第二小法廷(亀山 継夫裁判長)は、2002年4月26日いずれも 「1、本件抗告棄却する。2、抗告費用は抗告人らの負担とする」との決定を行いました。
 7名のうち6名は昨年12月下旬仮放免許可を得て釈放されていますが、父親にあたる一人が、長崎県大村入国管理センターに収容されつづけています。今回の最高裁の棄却決定で、本件については司法により収容を停止させることができなくなりました。そのため、今後は過去数回拒否されている仮放免許可を申請して収容を止めさせていくしか方法がなくなりました。

2、馬さんの仮放免を求める署名を再び説明資料とともに提出予定。第3回公判以降、仮放免されている子ども達は、代わりに自分が入ってでも馬さんを出して欲しいと切望しています。



馬好平さんの様子
3月21日の手紙から
前略 井野先生、こんにちは、お元気ですか?私はいつも法廷にいけませんので、私は裁判官の先生に話したい事がありますので、ですから、以下の話を裁判官の先生にお伝えください。 私は日々鉄窓を守ってるな感じします。毎晩泪が止まらないよう流れてきます。私たちが中国から離れ、日本に来ましたが、何もわからないで牢獄に入りました。人生の運命はなぜこんな苦しいのですか。いくら妻と義父の血縁が違うでも、妻が母親の生まれたの子は間違いありません。侵華戦争後義父が中国に留でいました。そして母親と夫婦になりました。ですから、妻が義父の子どもになりました。その点を理解してください。もし、今回の判決が負けましたら、私たちの人生の悩みはいつまで留でしまうでしょうか?私たちのことをよく考えて下さい。よろしくお願い致します。                              
14.3.21馬好平


 大村入国管理局に今なお収容されている井上浩一さん(馬好平さん)の仮放免の実現に向けてのお願いをしていきたいと思います。もう半年以上になる収容によって、浩一さんは精神的、肉体的に非常に追いつめられています。第3回公判後に仮放免延長申請をしていく予定です。

 また、署名提出延期のお知らせです。
 第3回公判で署名も一挙提出と、メールマガジンに載せていただいたのですが、弁護士と私たちの会として相談した折に、署名がどのような過程で集まったのかなど説明資料を作成してつける必要があります。署名提出は裁判官が見たときに一番効果的な提出の仕方があるということで、中途半端な分析で出すより、もう少し先にしましょうということになりました。

 福岡地裁宛ての 「退去強制処分の取り消しと執行停止」と「連れ子、養子であっても在留特別許可」を求める署名 は、今後も継続して集めます。どの公判で提出するかはまた、ご連絡します。(6月7日には提出しません)

 ただ、馬さんの仮放免を求める署名を6月下旬に再度提出する予定です。

 

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元「中国残留孤児」井上鶴嗣さんの連れ子家族に支援を!
―妻の子どもは私の子ども。一緒に暮らしたい。もう離れたくない。―
 昨年から私たちの緊急要請にお応えいただき、その熱い思いに触れ心から感謝申し上げます。福岡入国管理局に対する緊急要請、ホームページ上で、全朝教(全外教)各集会での署名およびカンパの緊急要請、そして2002年1月4・5日には、全朝教(全外教)事務局、兵庫、奈良、福岡からもたくさんの方が私達の要請行動・集会に駆けつけ、行動をともにしてくださいました。広島・神奈川から檄文もいただき、熊本のことを自分の課題と受けとめた、たくさんの方から署名・カンパの協力をいただきました。
 私達は本当にどうしたらよいのかわからない状態で、ただ何とかしたい、それだけで動いていましたが、こんなにもたくさんの方から支援していただく中で、とても励まされ何とかここまできました。これから、本格的な裁判での支援と、子ども達はじめ家族の生活の支援を続けていきます。


元「中国残留孤児」井上鶴嗣さん家族の願いを守るために

 井上鶴嗣さんは元「中国残留孤児」であり、とても優しいおじいちゃんです。つれあいの琴絵さんは、鶴嗣さんと結婚した時に三歳と一歳の子どもを連れていました。鶴嗣さん、琴絵さんは理容師をして生活を立てていたのですが、「文化大革命」の時に、さまざまな状況の中、日本人であるということを理由に「下放」され、生活は困難を極めました。
 そんな中でも、帰国するまでの16年間、病気がちな鶴嗣さんを琴絵さんと長女の孫さんのがんばりで支えあい、まさに家族一体となって、差別や貧困を乗り越え懸命に生き抜いてこられました。また小さい時に病弱で命を助けるために養子として託された関さんのことも、鶴嗣さん琴絵さんの心から離れることはありませんでした。
 1983(昭和58)年、鶴嗣さん夫妻は中国政府の方針にしたがって、中国の養父の面倒を長女・孫さん家族に託し、4人の実子とともに安心して日本に帰国することができました。そして家族一緒に暮らしたいという長年の願いがかない、1996(平成8)年孫さん家族を、1998(平成10)年関さん家族を迎え入れることができました。初めて家族全員が揃った喜びをかみしめながら、みんなで支えあい生きてこられました。
 鶴嗣さんは「妻琴絵の娘は私の子ども。『血のつながり』はなくとも、この子達は一生私の子どもです。決して離れたくない」と言われます。
 そんな願いもむなしく、国は「在留が認められていない中国残留孤児の連れ子の家族なのに、在留が認められている実子の家族として偽って入国〜在留してきた」として、11月5日早朝、孫さん、関さん家族を強制的に収容し、中国へ「退去強制」しようと手続きをはじめたのです。
 私達はこの2家族の「退去強制」手続きを目の当たりにして、その非人道的な現実に「こんなことがあっていいのか」と動いてきました。あらためて鶴嗣さん、琴絵さんはじめ家族の話を聞きなおしていく中で、元「中国残留孤児」として棄ておかれたこと、今回のことは戦後処理の不十分さゆえに起こってしまったということがわかってきました。
 一方で「血のつながり」を越えたところで家族の絆をつくってきた井上さん家族の姿に、私達は人間としてあたたかいものを感じてきたのです。


とりくみの経過(2001年11月から1月20日現在)

11月5日 福岡入管に二家族が拉致同然に強制収容される。面会拒絶される。
  6日 面会拒絶。福岡入管はこの間「異議申し立ての権利放棄書」に充分な説明なしにサインさせる。
     井上浩一(馬)さん以外、不本意ながらサインする。
  7日 弁護士面会。弁護士の抗議により「放棄書」は白紙撤回。
  9日 子どもの処遇について福岡入管へ嘆願書提出。
  12日 口頭審理の手続きに入る。
  19日・20日 口頭審理 弁護士のみ立会い、鶴嗣さん琴絵さん達立ち会えず。
  21日 全員の仮放免の申請をする。全員「異議申し立て書」提出。
  22日 浩一さんを除く6人(母と子)の仮放免実現。
  25日 全同教にて報告。
12月3日 熊本県庁記者クラブで記者会見。
  4日 福岡県政記者クラブで記者会見。
  11日 福島瑞穂議員秘書立ち会いで法務省入国管理局審判課の上席補佐官、違反審査係長
     警備課執行係長へ、署名(2100名分)嘆願書提出、法務省記者クラブで記者会見。
  14日 熊本で「在留特別許可」を求める集会。
  17日 法務大臣裁決の通告。「理由なし」ということで「退去強制令書」が発付されたという通告。
     同時に子ども4人を含め全員を力づくで再収容される。全員の仮放免申請をする。
  19日 福岡入管へ子どもの再収容、仮放免について要請。
     福岡県政記者クラブで記者会見。
  25日 福岡地裁に「退去強制」の執行停止と、法務大臣裁決の取り消しを求め提訴。
     司法記者クラブで記者会見。
     仮放免を求めて福岡入管へ申し入れ。
  26日 浩一さんを除く6人の仮放免実現。
     浩一さんに対しての処遇について、福岡入管へ申し入れ。
  27日 浩一さんは大村入国管理センターへ移送される。
  28日 浩一さんの仮放免申請をする。署名追加(855名分)浩一さんに面会。
     非人道的な処遇が明らかとなり、福岡入管へ申し入れ。
     福岡地裁から判決が出される(第一審が終るまでは退去強制はしない、収容はする)。
1月4日 福岡高裁に「収容」部分の執行停止と裁判確定までの執行停止を求め、即時抗告をする。
     福岡司法記者クラブで記者会見。
     福岡入管に対し、全朝教とともに要請。
  5日 熊本で交流集会。
  15日 福岡高裁が即時抗告を棄却、原審とほぼ同じ理由で収容部分の執行停止認めず。
  21日 最高裁に特別抗告予定(子どもの収容は間違っている
     浩一さんを出してほしいという意思表示)。
  25日 仮放免期限のため、延長申請(一月ごとに必ず本人出頭。立ち会い許さず)。
     第一回公判、報告集会予定。


子どもの「強制収容」のありよう―福岡入管―

 私たちはたくさんの元「中国残留孤児・婦人」の3世にあたる子ども達と出会い、2世のお母さんお父さん達、1世のおばあちゃんおじいちゃん達と出会ってきました。家に行き学校と違う子ども達の姿に私たちは教育課題をつきつけられてきました。しかしそれよりも、一緒に餃子を食べながら日本語・中国語を一言ずつ覚えあい、歌い、語り…そんな中で聞く、戦争の時の話、中国でのあるいは日本へ帰ってくる時の話に、何ものにも代え難いおばあちゃんおじいちゃんはじめ家族の思いを感じて、私たちはこの出会いを本当に喜んできました。仲間も出来てきたのです。
 もちろん、実践のつたなさは言うまでもないのですが、それはまた切り拓いていく喜びでもあったと思います。そして2001年夏、1人の1世のおばあちゃんから話を子ども達とともに聞き取り、次のとりくみの展望がひろがり始めた矢先に今回のことが起こりました。
 子ども達が受けた「強制収容」の実態は、あまりにもひどいものでした。調査段階から、日本籍の子どもだったら決してされないような監視体制で収容されました。福岡入管は月曜日に拉致同様に誰にも連絡しないまま連れてきて、さっさと中国に帰ると追い込んでサインさせて、そして、木曜か金曜には飛行機に乗せるつもりだったのです。その前提の処遇です。子ども達は事実を明らかにする調査もすまないうちに、自由を奪われるという罰を受けたのです。こんなことが合法的に通っているなんて、許せません。
 11月5日早朝、理由もわからず、恐怖感を抱いたまま連れて行かれ、子ども達自身が自分は悪いことをしたからこうなっていると思わされていました。食事も冷たいものばかりで栄養面でも問題があり、シャワーも10分、運動も鉄格子の中で監視されながら10分。遊び盛りの子どもがです。面会はガラス越し、30分以内、手紙も全部読まれ、そうして、学習する権利は奪われたのです。18日間という長期の収容の中、子ども達の心身は深く傷ついています。収容された2001年11月5日に、子ども達は私達に手紙を書いていました。しかしこれが私達に手渡されたのは、11月8日の初面会直前でした。完全に打ちのめされ、あきらめさせられている子ども達でした。
「…お父さんとお兄ちゃんと従弟達と別の部屋にいるからさみしい―。11月5日の朝6時ぐらいその人たちは私の家に来てつれて来たんです。その時は涙が止まらなくて、すごくつらかったです。でも、みんなも悲しいと思うから自分もがんばっていきます。だから心配しないでね。今はとってもバリバリ元気です。私達今週中、来週中に中国に帰りますことになったかな?今日の朝先生に電話したかったけど、でも見張りしている人がいっぱいいたんだから、できなくてすみません。トイレに行ってもついてくるから。すごくすごくつらいです。本当はみんなに会いたくて、でもできないから。今度くるときはAちゃんたちもつれて来てほしいですよ。先生とみんなにもよろしくお願いします。…みんなに、きょうからずーっとしあわせになるようにとねがいますと、つたえてほしい。…」
「私はもう中国に戻りますので、日本にくる時どうもありがとうございました。福岡入国管理局の退去はかなりビックリしました。今の私は何か、きつい、つらい、苦しい、どう書くでも説明はできません。…」


 こんなに苦しい子ども達を前に、私達はとにかく会いに行く、毎日通うことで励ますことを続けました。
その後、仮放免されたものの、法務大臣の裁決を通告した際に、中学生を大人8人で床に押さえ込む、高校生を4人で抱えて連れて行く、中学生の女の子をも洋服の首をグーっと引っ張って連れて行く、小学生は泣くばかりという状況をつくって、支援者と切り離した中で、力づくの再収容をしました。
 再収容されて3日目12月20日の手紙です。

「先生方へ。お元気ですか?来る時は絶対この中に2度と入りたくないと思いました。でも、自分の願いがなかなかかなわなかった。17日に中に入って、もう絶対がんばって出ると思って、この中の人とケンカ?をしたりやってたのにダメだった。なんでかわかんないけど、どうして私達だけこんな目に会わないといけないですかと思うと、悲しくて、泣いた。強くなろうと思うけど、できない。2度目この中に入って、本当に悲しい。なんでか分かんないけど、原因はいくつかあった。
1、法務大臣はどうしてこういう結果を出したの?
2、どうして私達の運命でこんなに苦しいなの?
3、どうしていろいろな事全部私にくるの?
外に出たい。行きたい。家族と幸せ一緒に暮らしたい。毎年の正月は家族とOR先生方と一緒にすごしたのに今年はどうすると?もしかして…」


 この手紙を受け取った直後、再び仮放免となりましたが、9日間の収容という非常な体験をした子ども達は、仮放免という立場でなお、父親と切り離されたまま、行動範囲に制限をつけられた処遇が続いています。


これからも支援をお願いいたします

 運動としては私達の会は非常にヨチヨチ歩きできていますが、連帯してくださる各NGO、全朝教(全外教)、国会議員、各地のみな さまに支えられ、ベストを尽くすという意志だけは持ち続けて来ました。
今後の裁判の支援は、息長いとりくみになっていきます。特に裁判費用のカンパについては今まで集めたことのない額ですが、まず、支援の意志ありきでスタートしています。ぜひご協力お願い致します。署名また、公判傍聴のお願いをこれからもさせていただくことになります。よろしくお願いいたします。
連絡先
「強制収容」問題を考え、子どもの学びと発達を守る熊本の会 代表 井野幸子
〒861-1112 熊本県菊池郡合志町幾久富1758-676
TEL・FAX 096-248-7258
e-mail ryuji@orion.ocn.ne.jp
振込先・郵便振替
口座番号 01770-2-41376
 

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「退去強制処分の取り消しと執行停止」「連れ子、養子にも在留特別許可を求める」
カンパのお願い
〜元中国残留孤児から、もうこれ以上家族を奪わないでください〜
 
 先日は、孫(潘)さん・関さん家族の強制収容に対する抗議並びに仮放免を求める署名やカンパにご協力いただき有り難うございました。お陰様で、裁決が通告されるまでの25日間母と子ども6人は、仮放免で日常に近い生活を送ることができました。

 しかし、去る12月17日(月)、森山法務大臣は家族7名の在留特別許可を認めず、全員退去強制することを通告しました。当日、寒風の吹きすさぶ中入管は「庁舎内の安全管理」を理由に、家族も支援者も入り口から一歩も入れませんでした。母子の精神的な支えとして、また分かりやすい通訳としても同伴しようとした家族をはじめ、支援者の意図を全く無視し、入管側の通訳のみで、今回初めての異常な警戒の雰囲気の中、上記のことを伝えました。その上、冷静な対応をしていた家族、支援者の思いを裏切るかのように、母親と子どもに対して、力ずくの強制収容を行ったのです。家族は「もう一晩でもここには居させない」と再度、仮放免の手続きをとり、会としても強い抗議を申し入れてきました。しかし福岡入管は私たちの要求を聞き入れようとせず、11日もの間、子どもも含む親子7人を収容し続けました。各支援者より「子どもの権利条約に鑑み、子ども達の強制収容は問題なので、子ども達だけでも直ちに家に返して欲しい」と申し入れの結果、子ども達と母親の6人がやっと仮放免できました。しかし、父親(馬さん)は収容されたままです。しかも長期の収容を見越しての長崎・大村の収容センターに移送されてしまいました。馬さんは2ヶ月近くの長期に渡る収容生活のため、心身共に極度に衰弱しておられます。このままでは、命の危険さえ感じている状況です。

 戦争により家族を引き裂かれた井上鶴嗣さんですが、子ども達が実子でないことを理由に再び家族と引き裂かれようとしています。「実子じゃなくても、家族に間違いない。琴絵の子どもは私の子ども。十数年の間中国で、苦労をかけてきた。やっと家族が一緒に暮らし始めたのに…」という、鶴嗣さん琴絵さんの家族への強い思い・願いを知り、会としては12月25日(火)「裁決の取り消しと退去強制令書発付処分の取り消しと執行停止」を求めて家族が提訴していくことを、これまで同様全面的に支援していく事にしています。

 しかし、最近の法務省の動きは「テロ対策」を口実に日本人でない外国人の締め出しを強化しています。あのアフガニスタンの難民さえも受け入れを拒否する状況で、事態は全く予断を許しません。大阪では多くの市民の協力により、実子でない連れ子であっても、在留特別許可申請中は家族の収容はせず在宅での審議を勝ち得ています。また、全く家族関係のない「偽装入国」であっても子どもの収容は一切なく、仮放免中の月一回の出頭も子どもは学校があるからと免除されています。ここ九州でも同じ状況を創り出すためには、多くの市民の協力が不可欠です。つきましては、井上さん二家族の「退去強制をさせず、実子と同等の権利を連れ子、養子の家族にも認め、七人の日本での在留特別許可」を求めるための署名並びにカンパ等への協力をよろしくお願いいたします。

 カンパの振り込みは下記にお願いします。

郵便振り込み先 口座番号 01770−2−41376

加入者名 「強制収容」問題を考え子どもの学びと発達を守る会(略称 「子どもの学びと発達を守る会」)

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福岡地方裁判所 様
孫(潘)さん家族、関さん家族の「退去強制処分の取り消しと執行停止」
「連れ子、養子であっても在留特別許可」を求める署名
〜元中国残留孤児から、もうこれ以上家族を奪わないでください〜
  孫さん、関さん姉妹は中国の黒竜江省で生まれました。その後1965(昭和40)年母・琴絵さんが、元中国残留孤児である井上鶴嗣さんと再婚され、家族としての生活が始まりました。父母は理容師をして生活を立てていたのですが、まもなく「文化大革命」のときに、様々な状況の中、日本人であるということを理由に「下放」され生活は困難を極めました。そんな中でも、帰国するまでの16年間、病気がちな鶴嗣さんを琴絵さんと長女の孫さんのがんばりで支え合い、正に家族一体となって、差別や貧困を乗り越え懸命に生き抜いてこられました。また小さい時に病弱で命を助けるために養子として託された関さんの事も、鶴嗣さん琴絵さんの心から離れる事はありませんでした。1983(昭和58)年、鶴嗣さん夫妻は中国政府の方針に従って、中国の養父の面倒を長女・孫さん家族に託し、4人の実子とともに安心して日本に帰国することができました。そして家族一緒に暮らしたいという長年の願いがかない、1996(平成8)年孫さん家族を、1998(平成10)年関さん家族を迎え入れることができました。初めて家族全員が揃った喜びをかみしめながら、みんなで支え合い生きてこられました。

 鶴嗣さんは「妻琴絵の娘は私の子ども。『血のつながり』はなくとも、この子達は一生私の子どもです。決して離れたくない」と言われます。そんな願いも空しく、国は「在留が認められていない中国残留孤児の連れ子の家族なのに、在留が認められている実子の家族として偽って入国〜在留してきた」として、11月5日朝、孫さん、関さん家族を強制的に収容し、中国へ「退去強制」しようとしています。そして、約3500名の「在留特別許可」を求める署名や多方面からの要請にも拘わらず、12月17日に法務大臣の「在留不許可・退去強制」の裁決が通告されました。戦争によってバラバラにされた家族が、今回の裁決でまた引き裂かれようとしているのです。

 孫さん、関さん家族には、専門学校生、中学生、小学生のこどもたち4人がいます。早い子で小学校の1年生から日本の学校で学び、やっとの思いで日本語を覚え、日本の生活に将来の夢を持ち、それぞれの学校での生活を続けているところでした。もし、退去強制させられたら、将来への夢はもちろんのこと、現在受けている教育の機会をも奪い取られます。それどころか、今中国に返されても、中国語が理解できず、学習についていけないことは明らかです。このままでは日本語も中国語も不確かなまま、生きる力としての学力が保証されないまま、一生を送ることになると思われます。また、今中国にもどっても、すでに日本にしか生活基盤がなく、家族はきわめて困難な生活を強いられることになります。このようなことは、日本政府が批准している国際人権規約や子どもの権利条約の基本精神や条文からみても許されるものではありません。

 以上のような人道的な見地から、司法の判断として「法務大臣の在留特別許可を認めなかった裁決に裁量権の逸脱と濫用があり違法である」ことを認め、「裁決の取り消し」と「退去強制処分の取り消しと執行停止」及び「在留特別許可」を認めていただくよう、切に要望します。

2002年  月  日

「強制収容」問題を考え、子どもの学びと発達を守る熊本の会 代表 井野 幸子

連絡先 熊本県菊池郡合志町大字幾久富1758番地676
TEL/FAX:096−248−7258


主旨にご理解いただき署名いただける方は、下記をコピーして、メールアドレス jf7s-mtng@asahi-net.or.jp へお送りください。


 上記「孫(潘)さん家族、関さん家族の「退去強制処分の取り消しと執行停止」「連れ子、養子であっても在留特別許可」を求める署名」の主張に賛同し下記に署名いたします。

住所:

氏名:


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潘さん関さん2家族に対する福岡入管の処遇及び法務大臣の裁定に対する声明文
全国在日朝鮮人(外国人)教育研究協議会
代 表   藤 原 史 朗
 私たち全国在日朝鮮人(外国人)教育研究協議会(以下、全朝教と略す)は、外国人の子どもたちと日本人の子どもたちが違いを認め合い、互いを尊重して共に生きる学校や社会を作るべく、研究と実践に取り組んでいます。

 今、全国の学校や保育所・幼稚園に新たに渡日してきた(以下、「新渡日」と略す)外国人の子どもたちが多く在籍するようになってきました。しかし、「新渡日」の子どもたちの学校生活は、不安定な親の就労状況、言葉や文化の違い、日本の学校の受け入れ態勢の不備等により、必ずしもスムーズなものではありません。

 そういった中、全国各地の学校・園・所では、「新渡日」の子どもたちの受け入れをめぐって様々な取り組みがなされ、全朝教の研究集会やセミナーでも各地からの実践が報告されています。また、全朝教研究集会と並行して開催される全朝教高校生交流会には、「新渡日」の高校生も参加し、日頃の悩みや思いを語り合い交流する姿があります。

 さて、熊本在住の潘さん関さんの子どもを含む2家族7人が11月5日、福岡入管によって強制「収容」されたとの報に接しました。「収容」された子どもたち4人の中には、全朝教高校生交流会に参加した子どももいます。

 潘さん関さんは、母の再婚により中国残留日本人を父(義父)にもち、中国での長い家族としての生活歴をもっています。潘さん関さんが来日し、15年ぶりに家族がそろい、なんとかこの日本社会で家族そろって暮らせるようみんなで力を合わせて生きてこられたと聞いています。その姿は、全朝教の各地から寄せられる「新渡日」の子どもたちの家族の姿と何ら異なりません。

 私たちは「血縁」に偏重する今の入管のあり方に疑問を感じるところであります。しかし、今はそのことは置くとしても、潘さん関さんの家族としての生活歴、子どもたちの日本での生活歴を考える時、在留特別許可申請に対し、「理由なし」と一蹴された法務大臣の裁決に憤りを禁じ得ません。また、裁決後、子どもたちを再度「収容」した事実、「収容」時や父親(馬さん)の大村収容所への移送時の福岡入管職員の暴力的な姿勢を決して許すことはできません。

 98〜99年、大阪でも中国からの子どもたちが突然「収容」されるということが頻発しました。しかし、私たちの仲間の取り組みもあって、大阪入管は明らかな退去事例でも子どもたちを収容することはなくなりました。今回の福岡入管のあり方は、そういった子どもたちの人権に対する配慮という流れを後退させ、全国各地の多文化共生の取り組みや「子どもの権利条約」にも真っ向から挑戦するものです。そして、それは、収容された子どもたちはもちろん、今回の動きに注視する全国の「新渡日」の子どもたちをも絶望の淵に追いやるものです。

 私たち全朝教は潘さん関さんの家族に対する福岡入管の処遇に対して、ここに強く抗議するとともに、潘さん関さんの家族の生活歴を踏まえて在留特別許可が認められるよう強く希望します。


2002年1月5日

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1月4日福岡入管への要請行動、5日熊本での集会にぜひ参加を!


 先日お伝えすると同時に、署名のご協力をいただいた熊本の2家族の強制収容問題ですが、入管によって出された結果は、父親を除く6人の仮放免許可というものでした。さらに、残された父親は手足を縛られて大村収容所に移送されました。

 こうした対応にたいして、全朝教(全外教)としては決して許すわけにはいかないと考えます。

 全朝教(全外教)は、1月4日に「「強制収容」問題を考え、子どもの学びと発達を守る熊本の会」 の人たちとともに、福岡入管・大村収容所への要請行動を予定しています。また、翌5日は9時より、熊本・水前寺会館にて緊急集会を行います。

 全国のみなさんの参加をお願いします。

1月4日 福岡入管・大村収容所への要請行動
 集合時間 午前10時
 集合場所 福岡空港第3ターミナルビル1階(入管側)
 内  容 午前 福岡入管への抗議行動
      午後 大村収容所への抗議行動
1月5日 緊急集会
 時間   午前9時〜
 場所   水前寺会館(熊本市水前寺公園近く)
 


全国在日朝鮮人(外国人)教育研究協議会
会 長  藤  原  史  朗
すべての子どもたちの発達及び教育を受ける権利を守るための要請書

 私たちは昨年来、全国在日朝鮮人(外国人)教育研究協議会に結集する多くのなかまと共に貴福岡入国管理局に対して、「中国残留孤児」井上鶴嗣さんの妻琴絵さんの「連れ子」2家族への仮放免許可並びに退去強制令の執行停止を求めて要請行動をしてまいりました。しかし、出された結果は、父親を残した退去強制令に基づく家族6人の仮放免許可というものでした。さらに、残された父親が手足を縛られ大村収容所に移送されました。
 私たちは、こうした対応に対して以下の内容を再度要請いたします。

1.今回の父親だけを残した「退去強制に基づく仮放免許可」は、家族を分断する非人道的な対応であり、「子どもの権利条約」(第9条親からの分離禁止と分離のための手続き)に反し、子どもの最善の利益を侵害するものです。速やかに父親に対する仮放免を行い、家族が分離されないことを確保するよう求めます。

2.今回の子どもも含めた2家族7人の「退去強制令」は、国籍や合法性を問わず、子どもたちの生存と発達を最大限に確保され、その成長過程のあらゆる場面において、最大の配慮と裁量を伴った教育的処遇(「子どもの権利条約」第2条差別の禁止、第3条子どもの最善の利益の考慮、第6条生命・生存・発達の保障、第28条教育への権利、第29条教育の目的」)がされなければならないことに反しています。
 すべての家族が、一人の人間として尊重されるため、特に社会的に弱い立場に置かれた子どもに対する国家権力による処遇については、その人格が傷つけられることがないよう完全な情報公開がされること、また、今後の延長申請をはじめ、すべての手続きにおいて第3者が立ち会うこと(「子どもの権利条約」第12条意見表明権、第37条自由を奪われた子どもの適正な扱い)ができるよう求めます。

3.この時期に家族を分断する非人道的な対応を早急に撤回し、強制送還をせず、家族全員の特別在留許可を求めます。
 

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2001.11.28
ご賛同いただける皆さんへ

緊急のお願い
「強制収容」問題を考え、子どもの学びと発達を守る熊本の会

代表  井野幸子
 別紙の 署名用紙 にあるように、私たちは退去強制のために福岡入国管理局(以下「福岡入管」)へ拉致同然に収容された二家族のことで会を結成して動いています。

 全国で同様なことが多数起きており、その中で全国の人権を守る組織の多様な動きの中で、退去強制のための強制収容に関しては、『子どもは収容しない』ということが、ここ2年の間に成果としてできていました。

 しかし、今回、別紙 署名用紙 にある二家族には小学生、中学生、専門学校生の4人の子どもがいるにも関わらず、全員を強制収容(ほとんど拉致の状態)されるということが起きました。

 今回、二家族の子どもを強制収容しているということで、NGOの人権組織から入管に抗議もあっている状態です。

 現時点では、二家族の子どもについて仮放免の手続きをしてきましたが、18日間の収容の後、子どもの仮放免が実現し、母親は子どもの養育のためという名目で共に仮放免になりました。しかし、「父親は出すべき用件がない。」ということで、一人残され、家族が引き裂かれています。

 そして、もしこのまま退去強制されることになれば、戦争の犠牲者として中国残留孤児となり家族と引き裂かれ、やっと故郷で共に暮らせるようになった本人が、入管によって再び引き裂かれてしまうということになってしまいます。

 私たちの会が目指しているのは、ご家族全員の『日本に残って家族として共に暮らしたい』という強い意志を実現することです。また、今後同じようなことがあったときの大切な前例になればとも思っています。

 そのために、できることはあらゆることをしていこうと意志を固めています。

 そこで、今回「全員の在留特別許可を勝ち取ること」と、そこにいたる前提として残されているお父さんの「仮放免を実現すること」を緊急の課題として活動しています。 趣旨をご理解いただき、協力ください。

★★★★★★★★

第1次集約は12月中旬です。

署名用紙は こちら からダウンロードして下さい(pdfファイルです)。
また、集められた署名は、代表の井野さんまで郵送して下さい。

郵送先 熊本県菊池郡合志町大字幾久富1758番地676 井野幸子

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